津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■小崎五郎左衛門宛忠利書状(2)

2021-01-26 07:09:04 | オークション

               細川忠利筆 小崎五郎左衛門苑書状 肉筆紙本掛軸(陽明文庫小笹喜三箱書

 昨日ご紹介したこのオークション物件、よくよく眺めると「陽明文庫小笹喜三箱書」があり451,000円とあった。
陽明文庫とは摂関家である近衛家伝来の文物を収蔵する施設だが、小笹喜三とはここに属した貴重文書の調査研究の第一人者らしい。
その小笹の箱書きが有るからこの値段が付いたという事らしい。それにしても高い・・・
そうなるとこの文書の内容が大いに気になるが、どうやら小崎五郎左衛門が細川家に召出される前のものらしいことが伺える。
音信物を仲介したのが平野九郎右衛門であることが文中で判るから、九郎右衛門が細川家に仕官したのが「元和八年1622)豊前召寄せられ、知行五百石(のち千石)」であり、五郎左衛門の仕官寛永十六年(1639)迄の間に交わされた書簡であろうと思われる。
平野九郎右衛門を使者として送り、御状・音信物(鮭・御菓子・昆布)などを贈られたことに対する礼状である。
五郎左衛門が石州銀山にいたこと、また少し病気味であることに対し丁重な文面である。
ひょっとすると細川藩への召出しに関するものではないかと考えるが、確証はない。

      以上
      為御見廻指
      越使者平野
      九郎右衛門所迄
      御状殊鮭之子
      籠二尺幷菓子
      昆布五拾本
饋       饋=おくる
      給御志之程不浅
      存候貴殿事頃       頃=しばらく
      石州銀山ニ被居
      彼地被□□今
      程刑部殿領
      分ニ御入之先尤
      少持病差□之
      由心許存候
      □々如此之段
      別而□満足候
      尚平野九郎右衛門
      可申入候恐々謹言
          細越中
       七月六日 花押
       小崎五郎左衛門殿
            御宿所      □表示個所は現況読みえず

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