津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

先主を考える-番外編

2007-10-23 18:40:00 | 歴史
 加藤家の侍帳を見ていると、改易後この人たちはどういう行動をしたのだろうかと考えてしまう。相当の人たちが細川家に仕官したが、それについてはサイト内に特記している。関が原で西軍についた柳川の立花宗茂は、所領を没収されて家臣たちはちりぢりになったが、一部を清正が預かった。京町にかつては柳川小路という町があり柳川衆が住居した。大きな通り(かっての国道三号線)をはさんだ反対側には宇土小路の町名が残っている。これは小西行長の旧家臣たちが同様住んだ。柳川衆は立花宗茂の柳川帰参が叶うと、全員が帰藩していった。柳川では「戻り衆」と呼ばれたらしい。両町に住まいした人たちがどのような方々であったか知るすべがない。我が家の先祖が眠る西方寺から、すぐのところにある閑静な住宅地である。
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