津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

高橋一閑なる人

2007-10-02 15:39:56 | 歴史
 細川忠利は、文禄三年(1594)から慶長三年(1598)まで、愛宕山福寿院に入り学問に励んだ。その時学友として側に在ったのが田中以徳である(細川家家臣ではない) ある時忠利は細川家側近を召し、出家すべく内意あったが、意徳が再三お止めしたという。慶長五年(1600)正月、忠利(15歳)は証人として江戸へ下っている。豊前時代に至り突然の召しだしが有り、知行300石細川家家臣となった。寛永十八年忠利死去(56歳)にあたり殉死、63歳であった。跡式は弟長野一閑の嫡子・甚左衛門である。

 過日「転切支丹の系図」を手に入れた。ここに「肥後国飽田郡熊本城下浪人転切支丹永野一閑」の物があった。何気なく眺めていたのだがどこかで見た名前だ。系図をよく見ると「田中」という氏が並んでいる。間違いない、田中意徳に関係あると直感した。田中氏の「侍帳」を見ると間違いない意徳の弟・一閑を確認、又一つ成果を加える事が出来た。
長野(永野)一閑の経歴は分からない。しかし転切支丹として記録されており、其の事を以って浪人したのだろうか。
 ちなみに田中意徳・永野一閑の祖母菊が、大阪城最期の模様を伝える「阿菊物語」の著者である。 www.ikedakai.com/text/okiku.html
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それぞれの熊本

2007-10-02 08:47:06 | 熊本
■待ちに待った「島田美術館」が再オープン。都市計画道路の為に、美術館敷地が1/4ほどカットされた事に伴い、2年4ヶ月の間閉館して改修工事が行われてきたもの。新たなたたずまいが、又人気を博すことになるだろう。同館サイトは、こちらは再オープンとは行っていないので、ちょっとご紹介。「近世肥後の文武展」が来年2月24日まで。

■細川護煕氏の現在の肩書きは「陶芸家」ご長男護光さん(35)も「陶芸家」。現在阿蘇郡南阿蘇村河陽のアートサロン「古今亭」で「細川護光陶芸展」が開かれている。同村に昨年十一月窯を開いて初めての個展。14日まで。秋の阿蘇は最高ですよ、お遊びの傍らご覧になってみてください。

■阿蘇郡南小国村の「黒川温泉」は、湯布院とならぶ「全国区」有名温泉に成長したが、今回「黒川温泉の風景づくり」が、日本産業デザイン振興会の「グッドデザイン特別賞」を受賞、またまた名声を高める快挙。今からの秋の紅葉時分はさぞ賑う事でしょう。どうぞお出でください。(もっとも予約が一杯で宿泊は無理だと想いますけど・・・)

 57日(?)続いた真夏日も途切れて、熊本市内はようやく涼しくなってきましたが、阿蘇方面はこれから最高の行楽シーズンです。「遊びにお出でまっせ」
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