津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

家中ことば

2007-10-18 14:59:02 | 歴史
 昭和54年熊大生S様の卒論の中にある「細川藩家中ことば」を、同大の秋山正次元教授が昭和63年の熊日新聞(6月1日)に紹介しておられる。明治26年生まれのO様(女性)のご教示による明治後期あたりの女性の武家言葉だという。

娘「おでっつぁま(お父様)、まだ御寝なってござっしゃりますか。おひん(お起き)なされてござる(ママ)ますか。ごぜん(御飯)を召し上がりまっせ」
父「今日はよか(良い)天気になったな。このおつゆ(お汁)もよか(良い)味がする」
娘「松の内でござりますから、おかちん(餅)をおむし(みそ)とおかか(かつお)で味つけさせました。おこぶし(あわび)とおかべ(豆腐)とごん(ごぼう)も入れさせました」
父「それは良かった。おたあさま(お母様)はどこか」
娘「いまおぐしあげ(髪結)とおみじまい(化粧)なさってござります。さあおだっつぁま(お母様)、おしとね(座布団)を御召しまっせ。ごふあんばい(御病気=御不塩梅)はいかがでござる(ママ)ますか、おなか(胃)のお薬はおたべ(飲む)ますか」
母「いやお正月だからしろざさ(白酒)をたべ(飲む)ましょう」
娘「お膳はそのままおめしおかれ(お置き)まっせ。わたくしがすべ(下げ)させますから」
母「との(主人)は今日、ご隠居(祖父)様お宅にお出でなされますか。おじょうぐち(玄関)まで私もまいりまする。定めしおつけ(お疲れ)なさいましゅう」

 以上であるが、別世界を覗いたような気がする。秋山先生は「言語文化の遺産継承に生きた事例」と驚きを隠されていない。古いスクラップブックから見つけたので、ご紹介する。
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発表の場

2007-10-18 11:01:56 | 徒然
 過日「自家出版」の案内状が届いた。すでに資源ごみの束にまぎれて手許にはない。最近続けざまに数冊の本をご恵贈いただいた。同人誌や研究誌所収のものであったりするなかに、自家出版の立派なものがある。内容の充実振りに驚かされると共に、経済的ご負担も相当なものだろうと下司の勘ぐりをするのである。ある方からのお便りの中に、「熊本では発表の場が少なく困っている」というお話があった。あることをテーマに、研究誌数誌を渡り歩くように発表されてきた。表現が適切ではないが、このことは発表の機会を何とか得たいと思われた気持ちの現れである。全くの在野の私たちはそれすらも手立てをもたない。「歴史研究会」は1.5万の会員を持つらしいが、平成に入ってから投稿原稿の掲載が不可能になり、別して「在野史論」というものを不定期に刊行している。会員である事が条件だが、多くの方たちが素晴らしい論文を投稿発表して居られる。且つて熊本には、荒木精之先生の「日本談義」という素晴らしい月刊誌があった。荒木先生の「滅私奉公」的な強靭な想いで続いて来たものだろうが、先生の死と共に熊本の一つの文化が滅んだ。先生の死後25年新たな産声を聞く事はない。あちこちから頂戴する、貴重なコピー資料が山になっていくのを整理しながら、これらの資料を多くの皆さんに見ていただく機会はないのだろうかと残念に思うのである。何とか発表の場が確保されないものだろうか。
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