津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

細川家墓所・泰勝寺周辺

2007-10-27 17:59:45 | 歴史
 熊本には細川藩主家の墓所は二つあって、熊本城の鬼門に当たる北東方向に泰勝寺(立田山自然公園)、南西方向に妙解寺(北岡自然公園)がある。(もっとも夫々廃寺だが)地図の上で二つのお寺を線で結んでみると、まさしく熊本城天守閣が線上にある。今日の熊本は少し曇り模様だが明日はどうだろうか、泰勝寺周辺を散策してみようかと考えている。幽齋公ご夫妻と三齋公ご夫妻の「四つ御廟」や、十代斉滋、十一代斉樹、十三代斉護、十四代護久、十五代護成のお墓がある。(他は妙解寺)すぐ近くには、西側に細川刑部家、南側に小笠原少斎の多宮家墓所もある。少し離れた所には、堀内傳右衛門の居宅跡や、神風連を祀る桜山神社などもある。熊本大学脇の1キロほどつづく細い坂道が、サイクリングにはちょっとこたえるけれど・・・
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我が出自をさがして・・

2007-10-27 13:45:34 | 歴史
 我が家の家祖たる人は磯部氏で、下松(山口県)に在って毛利元就の旗下にあったと先祖附は伝えている。その孫が三齋公に召し出されて豊前に下り、その息子たる我が家の二代目が母親の姓を名乗って今日にいたっている。初代以降は僅かながらでも史料があるが、それ以前の磯部氏については皆目見当がつかない。最近少し頑張って調べてみようと思い、いろいろ検索してみると先祖附に出てくる下松周辺に沢山の磯部姓の方が居られる事が分かった。今は「光ふるさと郷土館」になっているという旧磯部氏宅などもあって興味深い。光や下松には市議会の議員さんがおられたり、病院があったりする。詳しく調べると案外我が先祖とDNAを同じくする人が見つかるのではないかと、少しばかり光が見えてきたような気がする。問い合わせの手紙を書いたり、メールを入れたり忙しくなりそうな気配である。
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