津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

快挙

2007-10-11 10:13:21 | 徒然
 また田邊城籠城衆のご子孫K氏が判明した。いろいろお送りする資料を調べたりしていたら、それがきっかけとなって「鍋奉行」や「坂根氏と中村氏、そして桂林寺」に繋がった。K氏の先祖附には籠城のことが一切書かれていない。綿孝輯録の編者小野武次郎も不思議がってコメントしている。なんと言っても、わがサイトを訪問していただいた事で嬉しくてしようがない。感謝。これで「西の方・守備」8名のうち5名の方のご子孫が判明した。快挙・快挙・・・
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坂根氏と中村氏、そして桂林寺

2007-10-11 00:53:30 | 歴史
 坂根氏と中村氏は青龍寺以来の古い家、坂根氏と桂林寺の大渓和尚は田辺城に籠城した。桂林寺の由緒をみると創建者の名前に坂根修理亮なる人がある。綿孝輯録は板垣修理太夫としているが間違いだろう(綿孝輯録にも間違いは結構ある)。坂根修理亮の父親が桂林院であるらしい。細川家家臣坂根長右衛門も、丹後田辺に住んだ坂根右京の子とされるが、二人を結びつける資料はないものだろうか。中村新助は妻と共に町屋に隠れ住み誕生後の忠興を育てた。忠興と生活をともにした一人の娘が、長じて坂根長右衛門に嫁いだ。その嫡子が中村家を継ぎ、二男が坂根家を継いでいる。桂林寺の大渓和尚は忠興について豊前に入った。細川家草創期を支えた三人である。

「SAKANE.NET」というサイトにある、「丹後半島の板根」というレポートが興味深い。又、宮村典太の「吹奇与勢」に「丹後桂林寺の事」という一文がり、未見であるがこれも大変興味深い。図書館へ行かねば成らない。
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