津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

某家先祖附の情報(肝煎-1)

2007-10-03 09:11:04 | 歴史
 細川家家臣N家の祖・安右衛門は、加藤主計頭(清正)に天正十七年、芦北郡佐敷に於いて新知4,600石で召抱えられている。高麗陳(陣)に於いて働き「赤熊之棒之立物」を頂戴したり「南無妙法連花経(ママ)」の昇を託されたりしている。慶長八年には矢部庄の内1,022石余の加増を受けた。その時分の与力の名前が列記されている。

    五百石 与力頭 長島掃部
    三百五十石   嶋沢市右衛門
     同      中小路三右衛門
    二百五十石   加賀山次郎作
    百五十石    早水正左衛門
     同      原 源右衛門
    百弐拾石    岡 兵左衛門
    百五十石    ■藤三五兵衛
    百石      八木庄左衛門
     同      小野田久左衛門
    二百五十石   横田勘左衛門
    三百石 豊前領■ 長尾又吉郎
    三百五十石   田邊又助  以上十三人
 先祖附にこの様な情報が記載されるのは大変珍しい・

 さてこのN氏、加藤家(寛永九年)改易後牢人し、寛永十年堀丹後守・同式部少輔の肝煎りで細川家に五百石で召し出された。その堀氏、後の椎谷藩の藩祖・直之、直景であろうと推測しているが、どういう係わりがあったのだろうか。
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