津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

10/2-高橋一閑なる人・・・続

2007-10-08 21:03:01 | 歴史
 10/2、細川忠利に殉死した田中意徳と、弟高橋一閑について書いた。高橋一閑が「転切支丹」であったが故に、種々記録が残っていて二人の関係が判明したのだが、実は田中意徳の跡式を相続した一閑の子作丞(甚左衛門)が堺の玄斎という者に訴人された事が発端とも考えられる。玄斎が一閑に遺恨をもってのことらしい。作丞が切支丹でない事は判明して事なきを得ているが迷惑な話では有る。一閑は狩野勘右衛門と名乗る絵師で一時期大阪の切支丹寺に通い切支丹となったようだ。後に南禅寺に入られた宣長老の意見を入れて、禅宗に改宗したが、「ころび帳」なるものに記載されて御改めの際は何ごともなく過ごして来たのだという。哀れを留める小笠原玄也一家の殉教事件も、訴人によると伝えられる。いかに藩庁が切支丹問題に戦々恐々としていたかが覗える。
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幸福感

2007-10-08 09:23:34 | 徒然
 ここ数日数件の問い合わせのメールをいただいた。ご先祖探しのお尋ねであったり、確認のメールであったりだが、夫々貴重な情報を得て大変嬉しい。サイトをアップした時分は、まさかこのサイトがこの様なお手伝いができるとは思いもよらなかった。のちのち喜びのご連絡をいただくと、何ごとにも変えがたい幸福感に満たされる。その上の喜びは、この年になって新たな友人を得たことである。お目にかかったこともなく、お顔も存じ上げない方もあるが、時折いただくメールやお便りに感激するのである。メールのご返事や、資料の送付や、調べ事や、図書館通いや、そして読書やらと65爺は忙しさを楽しんでいる。
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