あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国霊場を巡る遍路道(8)

2007-09-18 22:48:25 | 四国遍路あれこれ
 中3日空きましたが、四国霊場を巡る遍路道の続き、
今日は、43番明石寺から44番大宝寺への道。この間
はおよそ67kmあります。



 明石寺から1km足らずで、国の伝統的建造物群保存
地区に指定されている、宇和町卯之町の古い町並みを
抜けて行きます。

 この通りには、江戸末期から明治初期の家がたくさん
残っていました。

 宇和町のある西予市から北側の大洲市へは、国道56
号を主に進みますが、市境にある鳥坂トンネルを避けて、
古くからの遍路道を鳥坂峠へ向かいました。

 この遍路道の入口には、宇和島街道の要衝だった鳥坂
番所が残っています。

 標高470mの鳥坂峠まで、ひと汗かいて上り、稜線上を
進むと、この先600mほどに、日天月天社という小さい祠
(ほこら)が祭られています。


 日天月天社の先から林道を下って、鳥坂トンネルの北側
出口付近に下りました。

 鳥坂トンネルは全長1117m、鳥坂峠を越えない場合は、
国道56号のこのトンネルを抜けてくるのですが、ご覧の
ように歩道はついていないようです。

 国道56号を下って行くと、大洲市の市街地に入ります。
NHKーTVで人気だった朝のドラマ「おはなはん」の舞台、
「おはなはん通り」の近く。

 古い建物が軒を並べていました。

 こちらも「おはなはん通り」の近く。狭い通りに、提灯店
の看板が下がっています。


 大洲市の中心、伊予大洲駅周辺を過ぎ、さらに国道56
号を北に進むと、首都圏にも多い量販店などが続いてい
ます。


 商店がほぼ尽きた松山自動車道大洲ICそばに、別格
霊場8番の十夜ヶ橋永徳寺があります。

 永徳寺前から、行く手の国道56号を見たところ。上を
横断しているのが松山自動車道。十夜ヶ橋はこの下で、
橋の下には、弘法大師の寝姿像などが祭られています。


 十夜ヶ橋の先、1.5kmほどは、さらに国道56号を進み
ます。


 国道を右に分け、JR予讃線の北側に並行する旧道に
回り、古いたたずまいの残る新谷(にいや)の家並みを
通過します。


 再び国道に戻り、JR大洲駅から3つ目の五十崎駅近
くから、内子へ向かう遍路道に入りました。


 気持ちよい草付きの遍路道は、1.5kmくらい先、内子
町営グランド付近まで続きました。


 町営グランドを過ぎれば内子駅はすぐ。私の前半の遍路
の区切りです。         (続く)
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カントリウオーク高坂(埼玉県)

2007-09-17 17:45:09 | カントリーウオーク
 2007年9月16日(日) =カントリーウオーク高坂=



 今日の熊谷の予想最高気温は35℃。厳しい残暑が
予想されるなか、東武東上線高坂(たかさか)駅に
12人の参加者が集まった。参加者数はいつもより少
なめ。3組に組み分けして、10時10分に出発する。

 今日の企画は、舌状に東に延びた高坂台地下に湧く、
7つの湧水をめぐるというもの。午前中はこの湧水を
目指すことにする。

 わがグループ4人は、駅東口から延びる車道を東に
進み、県道407号と「八王子道」を越える。高坂集落の
菩提寺、東光院を抜けて東側台地下に下り、まず「東
光院下の清水」へ。

 斜面林の下にある直径3mほどの湧水池で、10数
匹のコイが泳いでいた。

 以前歩いたときには、台地下の流れに沿って田んぼ
のあぜ道があったのだが、東側の広大な田んぼは造
成中で、道も消えていた。

 台地に戻り、斜面林の中の緑陰を進む。切妻造り瓦
ぶきのシンプルな高坂神社裏手を過ぎ、国道407号
のカーブ点に出た。北へ延びるバイパスが開通してい
て、田園風景が見下ろせたこの辺の景観も、すっかり
変わっていた。

 バイパスを横断し、東側の折本山緑地に入る。正代
集落の北側台地上に残る緑地である。ケヤキやクヌギ
などの林に遊歩道があり、ミンミンゼミなどがにぎやか
に鳴く。

 緑地の木陰はまだしも、日向はもう30℃を越えて
いると思われ、厳しい残暑。東屋があったので休憩し、
水分補給をする。

 さらに500mほどで世明寿寺に入る。市内最古の
千手観音像は、南北朝時代の14世紀半ばのものとか。
本堂は精巧な木彫で飾られている。


 山門もなかなか趣のあるものだった。門前にこんな
変わった石碑が立っていた。


 東側の台地下に、「観音下の清水」がある。標識が
無いので分かりにくく、竹の落ち葉や紙切れが落ちて
いて、きれいな湧水とはいえぬ見栄えだ。

 東側一面が田園地帯となり、色づき始めた田んぼを
見ながら南へ。舌状台地下の東南端の角、民家の庭
先のようなところが、「大下の清水」である。

 庭石や植え込みなどに囲まれ、ホテイアオイの大き
な花が2輪咲いていた。

 台地の南側、正代の家並みと田んぼの間を西へ向かう。
次の「中形の清水」は、少し北へ引っ込んだところで湧き、
コンクリートで周囲を固めてあり、水もが豊富に茂って
いる。

 魚がたくさん見え、メダカも十数匹泳いでいた。

 その先を少し上がり、西に進んで御霊神社へ行く。
7月25日付近の日曜日には境内で正代の祭りばやし
が奉納されるとか。

 南側に田んぼを見下ろし、その田んぼからの風がさわ
やか。境内にある正代公会堂では、地元の人が集会を
開いていた。

 すぐ近くにあるのが「寺下の清水」。ここもコンクリート
で囲んだ湧水。湧水量は少ないのか、流下量はわずか
だった。

 湧水の横を上がって青連寺に参拝する。本堂の西側
に、屋根がけで、「小代重俊供養塔」と記されたりっぱな
青石塔婆があった。

 小代重俊は、武蔵七党の児玉党の人で、文永8年
(1271)に蒙古襲来に備え、幕府から現、熊本県荒尾
市の野原荘へ行くことを命じられたとのこと。青石塔婆
は、蒙古襲来の弘安4年(1281)の建立という。

 最後の湧水は「宮鼻の清水」。やはりコンクリートで護
岸されているが、湧水量は一番多く水もきれいで冷たい。

 現在でも地元の方が野菜などの洗い物に使うのか、流
れに沿って太い木の板が置いてあった。

 大下の清水から宮鼻の清水まで、700m足らずの間に
4つの湧水が続いていた。

 正午が近づいたので、昼食地を目指す。少し戻って南
側の、色づき始めてイナゴも飛び出す田んぼの間に入る。

 コンバインでの刈り取りの始まったたんぼと大東文化
大グランドの間を進み、正代運動広場の東屋に12時
15分に着いた。

 暑いのでゆっくりと昼休みを取り、13時半に出発。
ハヤだろうか、小さい魚がたくさん見える流れに沿って
すぐ東側の都幾川右岸堤防に上がる。

 昼休み中に、ここにやって来たKさんは、カワセミを
見たというので期待して来たが、姿を見せなかった。

 そばの小剣神社境内には、もうすぐ咲きそうなヒガ
ンバナが、たくさん芽を伸ばしていた。

 少し戻って、田んぼの間を北へ向かう。


 早俣集落に入り、南端にある光明寺の木陰で休憩。
少し歩くと残暑がこたえ、水分補給が欠かせない。
本堂前に、紅白のサルスベリが花を咲き競っていた。

 長屋門のある旧家の前を抜け、都幾川の高野橋を
渡って左岸堤防を上流に向かう。


 顔の汗が止まらず目に入るので、始終ハンケチで
ぬぐわねばならない。ゴールまでずっと続けた。

 眼下の田んぼには、刈り入れを終えてはさ掛けした
ところもあった。


 左岸下に並ぶ下押垂集落の、西側にあった神社の
木陰でまた休憩。日陰があったらこまめに休憩しな
いと熱中症になりそう。

 再び強い日差しの照りつける広々とした田んぼの
間を北側の流れまで進み、県道の北にある将軍塚
古墳の横に進む。

 埼玉県内では、行田市埼玉(さきたま)の二子山古
墳に次ぐ巨大な前方後円墳だという。まだ学術調査が
行われていないので、内部の埋葬施設や外部の埴輪
(はにわ)などは不明とのこと。

 墳丘は全長115m、高さは前方部8m、後円部12
m、総面積5755㎡という。後円部の上には神社が、
前方部には大きな忠魂碑が立っていた。

 北側には無量寿寺があり、源頼朝の信頼が厚かっ
た鎌倉武士、野本氏の館跡で、江戸時代の「新編武
蔵風土記稿」にも境内1万4千坪あったことが記され
ていたという。

 ここでさらに休憩。Mさんが、とっとおきの冷えた杏
仁豆腐を皆さんに配り、熱く乾いたのどにしみ通る。

 国道407号バイパスを横断し、下野本から若松町
1丁目を経て、16時10分にゴールの東武東上線
東松山駅に着いた。

 暑さボケか何ボケか知らぬが、いつも途中で撮る
記念写真を撮り忘れたので、駅の横で撮った。

 暑い中、小学3年生のMSちゃんも、最後まで元気
に歩きとおした。

 有志は、近くのやきとり屋、三金へ入って汗をぬぐい、
東松山名物のやきとりを食べて歓談する。

 途中、沖縄・石垣島へ出かけて台風にあい、2日遅れ
で飛行機に乗ったという、今日の担当の一人、Aさんも
羽田から駆けつけ、19時頃まで、話がはずんだ。

 帰途、20時頃の東武東上線川越市駅の温度計は、
まだ30.5℃。この日の最高気温は、隣の鳩山で33.
2℃、熊谷で33.7℃だった。
 
(天気 晴、距離 11km、地図(1/2.5万)東松山、歩行
 地 埼玉県東松山市、歩数 19,800)
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ふくろうの本「図説 英国コッツウオルズ」

2007-09-16 22:26:13 | 英国いろいろ
 今日は、厳しい残暑の中、カントリーウオークグループの
例会で、埼玉県東松山市内をカントリーウオークしました。

 そのレポートは明日紹介することとし、別の話題です。

========================

 一昨年6月と昨年7月、英国・コッツウオルズ地方を南か
ら北へ貫く「コッツウオルド・ウェイ」と呼ぶ、全長173kmの
長距離歩道と、その周辺のウオーキングに出かけました。

 その模様は、2006年6月3日から2007年7月にかけて
当ブログで紹介しております。
(「Category」中、「英国のウオーキング」と「英国いろいろ」を
参照)。

 コッツウオルズ地方は、ロンドンの西方200kmほどにあり、
東京の山手線内と同じくらいのエリアで、なだらかな丘陵地帯
に、どこまでも続く田園風景が広がっています。

 このコッツウオルズの魅力を紹介した図書が、「フクロウの
本」シリーズから、表記タイトルで8月に発売されました。



 著者の小野まりさんは、1999年にナショナル・トラスト取材
のために渡英し、2002年には家族ぐるみで英国へ移住した
方で、現在は、NPO法人ナショナル・トラストサポートセンター
代表で、同英国事務局長です。

 本書では、私たちが歩いた「コッツウオルド・ウェイ」のことは
もとより、コッツウオルズの景観保全に大きな力となっている
ナショナル・トラストのこと、四季で楽しむガーデン、アンティー
クめぐり、コッツウオルズの有名人、映画のロケ地など、コッツ
ウォルズの魅力を、多方面から紹介しています。

 カラー頁とモノクロ頁が交互になっていて、きれいな写真が
豊富です。コッツウオルズを訪ねてみたい方、歩いてみたい方
などに予備知識を得るのに格好な図書と思い、紹介しました。

(小野まり著、B5版127頁、河出書房新社発行、本体1800
 円)

 

 

 
 

 
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四国遍路の小冊子と「新ハイキング」10月号

2007-09-15 23:34:59 | 四国遍路あれこれ
 昨年11月中旬~12月上旬と、今年2月中旬~3月
上旬に歩いた、2度目の四国遍路の記録の整理が、
ようやく終わり、結願から半年たちましたが、このほど
以下のように「四国遍路道ふた旅」というタイトルで、
小冊子を作りました。

 A4版62頁で、そのうち53頁が日々の歩行記、内容
は当ブログで報告したものとほぼ同じです。残りは資料
として、行程表、かかった費用内訳、初回と2回目のル
ートを変えた区間一覧、関連の5万分の1地形図、2万
5千分の1地形図一覧、参考資料、参考Sebを盛りこみ
ました。

 ワープロ入力から、写真を入れたレイアウト、コピー、
冊子への仕上げと、全部自分でやったので、市販品の
ような体裁には仕上がりませんが、自分としては、2度
目の四国遍路の総仕上げとして、ひと区切り出来、や
れやれといったところです。

 遍路でお世話になった方々や、遍路に興味を持って
おられるウオーキング仲間などに、お配りすることに
しています。

 もうひとつ、今日、首都圏を中心に発売された、雑誌
「新ハイキング」10月号に、私が投稿した「歩き遍路
へのアドバイス(上)」が掲載されました。

 内容は、歩いて四国遍路をしようと思っても、どんな
準備をしたら分からないという方のために、事前準備
やトレーニングなどについて、私の経験から参考にな
りそうなことを、まとめたものです。

 今号は、出発までのことについて記し、10月15日
発売の11月号には、実際に歩くときの注意点などを
掲載の予定です。

 これから、歩き遍路をしてみたいと思っておられる方
は、書店でご覧になってみて下さい。

 なお、限られた誌面なので、詳しいことは説明し切れ
ませんので、今後、当ブログでもとりあげ、より理解して
いただけるような内容を盛りこみたいと考えております。

 ところで、この「新ハイキング」10月号に、10月1日
からの郵政公社の民営化に伴い、「新ハイキング」の
定期購読料の払い込み方法が変わることが記されて
いました。

 いままでは、1年分の会費6,000円を、雑誌添付の
郵便振替用紙で入金する場合、通常払込料は加入者
(新ハイキング社)負担になっていて、6,000円だけ
振り込めばよかったのです。

 ところが、民営化後は、振込手数料も、加入者負担
額なども大幅値上げになり、新ハイキング社での負担
は厳しくなったので、振り込み手数料は読者負担にして
欲しいということになりました。

 通常払込料加入者負担でない場合、現在の振込手
数料は、払込金額6,000円だとATM利用で60円、
窓口だと70円ですが、これがATM80円、窓口では
120円になるのだそうです。

 小泉内閣によれば、郵政民営化により国民の利便
は向上するといわれていたように思いますが、どうや
らそうばかりでもなさそうです。

 民営化で良くなることは、どんなことなのでしょうか?


 


 
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四国霊場を巡る遍路道(7)

2007-09-14 22:27:43 | 四国遍路あれこれ
 午後、所沢航空記念公園に行ったら、ヒガンバナが1輪
咲き出していました。残暑で結構暑かったのですが、季節
の歩みは確実に秋に向かっているようです。

 撮った写真はピンぼけ。ご覧いただけないのが残念です。

========================



 愛媛県最初の霊場、40番観自在寺から、次の41番龍光
寺までは、およそ50kmです。

 その道どりの半分を過ぎた、29km付近の国道56号に
ある松尾トンネルは全長1710mあり、排気ガスが充満して
いるとのことです。

 そこで、西側を並行する旧国道に回りました。旧道の松尾
トンネルは300mほど。トンネルの出口です。

 旧道は国道に比べて車の交通量はわずかです。ただ、
このトンネルには歩道がなく、照明もないので、中間は真っ
暗でした。

 トンネルを出て下りとなり、採石場まで進むと反対側に、
初回には無かった、復元したらしい遍路道が出来ていま
した。

 遍路道の入口や途中には、「てんやわんや王国 へんろ
みち保存協力会」という新しい看板が立っていました。

 国道56号に出て8kmほどで宇和島市の中心街、中央
町を通過します。

 この通りの左手、台地上に宇和島城があります。

 宇和島の市街地を抜け、JR予讃線と平行する県道57
号を北東に進みました。

 新屋敷バス停の近く、歩道は右側の柵に挟まれた部分
です。

 少し先には、出来たばかりの遍路小屋21号光満が
ありました。

 務田駅の手前で県道に分かれ、田園地帯を41番龍光
寺に向かいます。手前の稜線の山すそあたりが龍光寺。


 標高190mのちょっとした高台にある41番龍光寺
境内から、来た道をふり返ったところ。


 龍光寺から次の42番佛木寺へは、西側の墓地横から
ちょっとだけ林間の遍路道に入って下ります。


 林間を抜けると、農道のような畑の横の遍路道を下り、
この先間もなくで県道31号に出ます。


 42番佛木寺の参拝を済ませ、宇和島市と西予市(旧
宇和町)との市境、歯長峠に向かいます。

 県道から左折して峠へ向かう車道から、ふり返り見る
県道31号。

 県道の左側、杉木立の見えるあたりが佛木寺です。

 車道を離れて、歯長峠への上り道となるところ。
200mほどの急坂には、くさりがついていました。


 標高480mの歯長峠。立木の向こうの屋根は、歯長
地蔵堂です。

 来た方をふり返って撮ったもの。

 歯長峠を下って肱川沿いに出て、県道29号に入りま
した。43番明石寺まで3kmほどの、レストラン兼営の
民宿みやこ付近の県道。歩道は無く、路側帯だけです。

 民宿みやこには、初回の遍路の際、泊まりました。(続く)


 
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四国霊場を巡る遍路道(6)

2007-09-13 22:28:47 | 四国遍路あれこれ


 足摺岬の38番金剛福寺へのお参りを済ませ、39番
延光寺へ向かって岬の西側に進みました。

 金剛福寺から5kmほどの民宿青岬に泊まった翌朝、
足摺岬西岸の大浜に向かう遍路道です。


 この先、ジョン万次郎こと中浜万次郎の出身地、中浜を
抜け、土佐清水市の市街地に入ります。

 市街地から、国道321号経由で岬の東岸に戻って、下ノ
加江から三原村経由が近道ですが、2回目の遍路では、
海岸沿いの月山神社、大月経由のルートを進みました。

 土佐清水市街を西に向け、海沿いをしばらく進み、大月
町に入りました。

 2つめの集落、大浦の西側から番外霊場月山神社に向か
って上がる遍路道です。


 小さい峠を越えて下った月山神社遍路道の最後は、小さ
い流れを横切りました。


 月山神社に参拝し、月ヶ丘で車道を離れ、最近復元され
た大月遍路道を上がります。

 この遍路道は、初回の遍路でお会いした、現在は奈良県
にお住まいの山下さんが、この近くに居られたときに、古い
資料から見つけ、地元の方に呼びかけて復元したものです。

 復元した遍路道は、途中から昔からの遍路道に結ばれ、
浜に向かって下りました。このすぐ先で、石ころの多い浜
に出ます。


 浜に出て、下の写真で見える感じより歩きにくい、ごろ
ごろした石の上を300m余り進み、右側の県道に上がり
ます。

 39番延光寺は、この先まだ30km余りの道のりです。

 39番延光寺の参拝を終え、高知県の最西端、宿毛市
街を抜けて、県境の松尾峠(300m)を目指します。

 宿毛市最後の集落、大深浦を抜けて子安地蔵堂を過ぎ、
松尾峠への最後の上りです。


 峠が高知・愛媛県境。愛媛県側の下り道は、緩やかで
気持ちよい土のが続きます。


 最初の町並み、愛南町(旧城辺町)の古い家並みを抜
けました。

 40番観自在寺までは、2km前後です。

 観自在寺からしばらくは、国道56号を西に進みます。
愛南町の西端、旧内海村の中心、「DE・あい21」と呼ぶ
半円形のホールの見える建物の手前で国道から右折し
て、川沿いに進みます。


 川沿いを離れ、宇和島市との境になる柏坂(460m)に
向かう上り道。ところどころに、野口雨情の歌碑が立っ
ていました。


 峠に近い番外霊場で小さいほこらのある柳水大師を
越えたあたり。

 間もなく宇和島市との境、清水大師です。   (続く)
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トトロの森とその周辺を訪ねる(埼玉・所沢)

2007-09-12 23:05:03 | 所沢だより
 今日午後、明け方から午前にかけての、かなりの
雨が上がって、きれいな夕焼けが見られました。


 そんな日の午後、唐突とも思える安倍首相の突然の
辞任の報に、驚きました。

 雨の上がり際の午前から、首都圏の中に残る貴重な
緑の一角、狭山丘陵のトトロの森とその周辺を、所沢
市内にお住まいのYさんに案内してもらいました。

 私は、すでに訪ねたところもありましたが、初めての
エリアもあり、その一端を紹介します。

=======================



 埼玉県所沢市の西部、東京都の水がめのひとつ、狭山
湖の堤防下になる上山口の集落近くに、「チカタの雑木
林」と呼ぶ林がありました。

 昨年3月、多くの人の善意と力で、売りに出た雑木林を
買い取り、維持しているものです。

 隣接して、トトロのふるさと財団が保有し、環境教育活動
や、文化財の調査・研究、管理などをしている、「トトロの森
3号地」があり、近くには、埼玉県の緑のトラスト地、「雑魚
入樹林地」もあり、いろいろな団体により狭山丘陵の貴重な
緑が維持されていることが分かりました。



 雑魚入樹林地の谷間には、小さい湿地があり、湿地を好む
草に覆われていました。


 その先、もうひとつの谷間を進むとトトロの森1号地に入り
ます。




 木の階段を上がって広葉樹林の間を進むと、林に囲まれ
た堀口天満天神社のそばに出ます。


 天神様の南側は茶畑になっていて、その向こうに近くの
清照寺の屋根と、狭山湖の堰堤がわずかに見えています。


 その先を下った上山口の民家の庭先には、キャラボクの
大樹がありました。日本百名山のひとつ、鳥取県の大山
(だいせん)山頂付近に多く自生しているイチイ科の低木
ですが、こんな大きなイチイはめったに見られません。

 樹齢300年以上といわれ、所沢市文化財に指定されて
います。

 このあと、車で市の西端、堀ノ内の「比良の丘」と呼ばれ
る丘陵に行きました。丘陵の森にかこまれた狭い一角に、
ひっそりと神社がありました。

 社殿の前には、市の保存樹、プラタナスの大木が立って
いました。

 近くの樹林の切れ目からは、西方に、入間市の市街地が
見晴らせます。


 その横から遊歩道を下って行くと、「さいたま緑の森博物
館」の案内所の建物があります。


 この博物館は、所沢市に接する入間市の東端にあり、狭山
丘陵の雑木林や湿地などの自然そのものを、野外展示物と
した施設で、この案内所では、このエリア内の動植物などの
写真や実物などを展示しています。

 案内所前には水鳥の池と呼ぶ湿地があり、カワセミやオニ
ヤンマ(トンボ)なども見られるとのことでした。


 案内所の近くには、秋を告げる花、ミズヒキが咲き出して
いました。


 今日回ったのは、ほんのわずかなエリアでしたが、狭山
丘陵には、まだ豊かな緑が残っており、いつまでもこのまま
残しておきたいものだと、改めて感じました。

 首都圏に浮かぶ緑の島、狭山丘陵の自然を残すために
活動している、「トトロのふるさと財団」のWebは、以下を
クリックしてご覧下さい。
     http://www.totoro.or.jp/
 
 


 

 
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四国霊場を巡る遍路道(5)

2007-09-11 18:42:02 | 四国遍路あれこれ


 37番岩本寺から足摺岬の38番金剛福寺までは約
80km。中2日のの長い遍路道が続きます。今日も
その続きで、清流、四万十川にかかる四万十大橋に向
かいます。

 黒潮町田野浦で、県道かと思えるりっぱな広域農道
に入り、しばらく進みます。
 
 黒潮町の西端、四万十市との境界付近、県道339号
と交差した先の左カーブ点です。

 この先は田園地帯に出ました。歩道はありませんが、
車の交通量はわずかです。

 四万十大橋を渡って国道321号に入り、津蔵渕の集落
は旧道を抜けて再び国道を進みます。

 土佐清水市との市境に向かって緩やかに上がる国道
沿い。ハゼなどが紅葉を始めていました。

 歩道がないので、細い路側帯を歩かねばなりません。

 四万十市、土佐清水市境を抜ける新伊豆田トンネル内。
全長1620mあり、通過するのに20分近くかかりました。

 トンネル内には、歩道が設けられています。

 トンネルを抜けた土佐清水市側の出口です。

 
 足摺岬の東側付け根にある人気の民宿久百々に泊まり、
いよいよ足摺岬へ到達の日。久百々を出て間もなく、1.5
km近くある「大岐の浜」と呼ぶ砂浜の遍路道が見えてき
ました。

 この砂浜が古くからの遍路道になっています。

 砂浜は、波打ち際を歩いた方が、靴が砂にめり込まず、
歩きやすいです。でも、波の荒い日はさらわれぬよう、
注意が必要です。


 大岐の浜の最後は、こんな小さな流れをまたいで渡り
ます。しかし大雨の後は増水で渡れないので、国道を
通った方がよいようです。


 2kmほど先で以布利港の横を抜け、再び浜辺の遍路道
を進みます。

 打ち寄せたゴミがたくさん溜まっていました。

 窪津漁港を過ぎ、県道27号に戻りました。1車線だけの
県道の、切り通し部分を通過します。


 次第に海から離れた県道は高みに上がり、周囲は肉厚
の広葉樹が増えてきます。足摺岬へあと0.5kmになり
ました。


 足摺岬の近くは、ツバキの純林が県道の両側を覆って
います。


 足摺岬にある38番金剛福寺に参拝、納経所で「遠かっ
たでしょう」とねぎらいの声をかけられると、1番霊山寺
から500km余り、ほんとに遠くまでよく歩いて来たと実感
しました。

 岬の西に向かい、旅館や民宿の多い一角を抜けました。
足摺サニーサイドホテルを過ぎ、松尾郵便局に向かう間、
県道27号を離れ、急に下って再び上る短い遍路道を
通過します。

 その遍路道の途中、この先を上がれば松尾の家並みに
出ます。       (続く)

 

 

 

  


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四国霊場を巡る遍路道(4)

2007-09-10 22:39:40 | 四国遍路あれこれ


 高知市の西、春野町の34番種間寺を過ぎ、仁淀川大橋
に向かう県道279号です。

 狭い県道ですが、車の交通量はわずかです。

 36番青龍寺に参拝し、37番岩本寺への道筋は、浦の
内湾の南側を進む横波スカイライン経由と、北側の湾沿い
の2通りがありますが、2回目の遍路では、浦ノ内湾の北
側を進みました。

 須崎市内の浦の内小と浦の内中の中間、県道23号の
浦の内トンネルです。

 車の交通量は少なめで、湾沿いには交通信号も無く、
この先、浦の内中前に工事中のがひとつだけでした。

 浦の内中の先で湾を離れて県道314号に入ります。
標高140mの仏坂峠です。


 須崎市街を抜け、市の西端、安和(あわ)駅の先から、
JR土讃線沿いの遍路道を上がり、焼坂峠に向かいます。

 標高228mの焼坂峠です。この日は1日雨でした。

 峠が、須崎市と中土佐町との境界です。

 峠からの下りも、林間の気持ちよい落ち葉道です。


 峠からJR土讃線沿いに下り、線路の南側を進みました。

 右側のコンクリート壁面の上が線路です。この先で国道
56号に出ます。

 国道を少しで旧道に入り、古い家並みの残る中土佐町
の中心を抜けます。造り酒屋の西岡酒造前です。

 2回目は雨の中を通過しましたが、これは初回の写真
です。37番岩本寺は、この先22kmほどです。

 37番岩本寺宿坊に泊まり、はるか80㎞先の足摺岬に
ある38番金剛福寺を目指します。

 岩本寺から5kmほどは国道56号を進み、岩本寺のある
四万十町と隣の黒潮町との境にある、片坂遍路道にかかり
ます。


 もう一つの遍路道、市野瀬遍路道を下り、再び国道56号
に出ました。

 佐賀温泉の先で、伊予木川を挟んで国道の対岸を走る
旧道に回りました。

 「四国のみち」のルートで、車はめったに通らないので、
安心して歩けます。土佐くろしお鉄道伊予喜駅近くまで
この道を進みました。

 伊予喜駅の先で、再び国道56号を離れ、昭和14年
(1939)まで県道だったという旧道に回ります。

 明治38年(1905)製、レンガ積みの熊井トンネルです。

 当時の小学生などが、レンガを運んで出来たとのこと
でした。

 トンネルを抜けると間もなく、土佐くろしお鉄道の踏切
を渡ります。

 1車線しかないこの道が、70年前は県道だったとは…、
当時の車の交通量はどの程度だったのでしょうか。

 この日は、この先14kmほど先の民宿に泊まり、翌日、
黒潮町の西端に近い、入野松原遍路道に入ります。

 黒松林の中を抜ける、気持ちよい遍路道で、そばの砂浜
はウミガメの産卵地です。

 足摺岬の38番金剛福寺は、まだ45km先、あと1日半の
道のりです。        (続く)


 
 

 


 

 


 

 


 
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四国霊場を巡る遍路道(3)

2007-09-09 22:50:19 | 四国遍路あれこれ
 昨日ほどではありませんが、今日も30℃を越える残暑で
蒸し暑かったので、夕方まで外出は控えました。

 四国霊場を巡る遍路道も3回目で、高知県内に入ります。

========================



 徳島県最後の霊場、23番薬王寺から、高知県の最初、
室戸岬にある24番最御崎寺へは、海岸線をたどる75km
の長い道のりです。

 国道55号、徳島、高知県境の水床トンネル(683m)を
抜け、高知県最初の町、東洋町に入りました。

 この先も、室戸岬までのほとんどは国道55号を進みます。

 室戸岬へあと17kmほどの佐喜浜の町並みを抜ける旧道。

 室戸岬東岸では、ただひとつの町並みです。

 24番最御崎寺とともに室戸市内にある、25番津照寺を
経て、標高165mにある26番金剛頂寺へ上がる遍路道。

 寺まであと150mに迫りました。

 金剛頂寺でのお参りを済ませ、西側の国道55号沿いに
ある、道の駅キララメッセに向かう遍路道の下りです。


 国道に出て海沿いを進み、国の重要伝統的建造物群保存
地区に選定されている吉良川の旧道に入りました。

 土佐漆喰(しっくい)の外壁に水切瓦(みずきりがわら)の付
いた独特の商家が並んでいます。

 次の町並み、室戸市最西端の羽根を通過し、標高140m
の中山峠へ向かう遍路道です。


 「真っ縦(まったて)」と呼ぶ急坂を上がって27番神峰寺に
参拝し、28番大日寺へと向かいます。

 安芸市の市街地を通過し、町外れから高知安芸自転車道
に入りました。

 旧高知電鉄安佐線の廃線跡を活用した道なので、何とな
く線路だったと思える緩いカーブが読み取れます。

 安芸市の西、芸西村に入ると「琴ヶ浜」と呼ぶ松林の中を
抜ける気持ちよい緑陰の道となります。

 海水健康プール付近です。

 同じ自転車道、隣の香南市に進み、ちょっとどぎつい彩り
の国民宿舎海風荘の下あたりで、2つのトンネルをくぐります。

 やはり廃線跡であることがうかがえる、天井の高いトンネル
です。

 その先、夜須の町並みに入る手前で自動車道から外れ、
香我美町は国道の北に並行する旧道を進みます。

 陸上自衛隊高知駐屯地のすぐ先、岸本小前の旧道。28番
大日寺まではあと6kmほどです。

 初回の遍路では、28番大日寺に参拝後、手前の旅館に
戻って泊まり、翌日、29番國分寺に向かいました。

 28番から29番への遍路道を離れ、野市の町並みから
南国市御免へのバイパスルートです。

 野市と御免を結ぶ県道364号の中町付近。このあたりも、
水切り瓦のある家があちこちに見られました。


 高知市内に入り、30番善楽寺から南へ、31番竹林寺に
向かいます。JR土讃線を越えて、交通量の多い県道44号
に入りました。

 国分川の橋からは、正面に31番竹林寺のある五台山が
見えています。2つのアンテナの立つ、標高120mの山です。
                (続く)


  


 

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