あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行・松陰神社前駅

2007-09-08 23:58:41 | 関東百駅巡礼歩行
 台風9号が去り、東京都内も残暑で33℃を越えました。

 今日は、「やまさん」の「関東百駅巡礼歩行」の第37番
目で、東京都世田谷区の東急世田谷線松陰神社前駅
周辺を歩きました。

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 2007年9月8日(土) =関東百駅巡礼歩行 No.37= 



 東急世田谷線は、京王線下高井戸駅と世田谷区の中心、
三軒茶屋を結ぶ、全長5kmの路線である。

 線路の幅が、JRや西武鉄道より広いと感じたので調べ
てみたら、やはり1372㎜だった。ちなみに、JRや西武は
1067㎜、新幹線は1435mである。

 私は、京王線下高井戸から乗り、松陰神社前駅に10時
前に着いた。

 今日の参加者は東京、神奈川、埼玉からの8人、写真は
私以外のメンバー。10時3分に駅を出た。


 駅東側の通りを北へ、まず松陰神社をめざす。

 途中で、地図に記されていた図書館に寄り道すること
にして、細い路地を入ったら、住宅の庭に珍しいピンク
のノウゼンカズラが咲いていた。


 世田谷図書館を確認して北側の松陰神社通に出て、
緑の豊富な松陰神社に入る。

 長州藩の志士、吉田松陰は、幕府の弾圧により江戸伝馬
町獄で処刑後、千住小塚原に罪人として埋められたが、
文久3年(1863)門下生の高杉晋作などにより、長州藩
の所有地だった、ここ世田谷若林に丁重に改葬され、明治
15年(1882)に松陰神社が建立されたという。

 神社西側の墓地に、吉田寅次郎(松陰)の墓があった。 


 社殿の東側には、吉田松陰の教育道場だった松下村塾
を模した建物がある。ほんものは、山口県萩市にある松陰
神社境内にあることは、萩を訪ねた方はご存知のとおり。

 神社の境内は、桜、モミジ、カシなどの豊富な緑に覆わ
れていた。

 神社の南側の松陰神社通を西へ、世田谷区役所前
交差点を通過し、中央図書館の西にある勝国寺に寄る。

 山門、この本堂、そして薬師堂とも最近の改築のようで、
いずれも新しい。

 さらに西へ進み、烏山川を暗渠(あんきょ)にして、その
上を緑道にした烏山川緑道に入り、南へ進む。

 緑道には、大正初期の世田谷城址付近の地図や江戸
名所図会・豪徳寺の絵など、この付近の昔をしのばせる
白磁のプレートが埋め込まれていた。

 もとの城下橋のところから緑道を離れ、西北に進んで、
豪徳寺に入る。

 豪徳寺の創建は文明12年(1480)だが、天文10年
(1633)に世田谷領主井伊直孝が井伊家の菩提寺と
して伽藍を創建し整備したという。  
 
 広い境内は緑が豊富だが、その中でも新しい三重塔が、
ひときわ目についた。


 豪徳寺は、招き猫発祥の地ともいわれ、境内の一角
に招猫観音が祭られていて、奉納された招き猫がたく
さん並んでいた。


 墓地の奥には井伊直弼(いいなおすけ)の墓がある。

 井伊直弼は、第16代近江彦根藩主で、幕府の最高
権力者になったが、直弼が行った安政の大獄に反対する
水戸浪士に桜田門外で、安政7年(1860)3月に暗殺
された。

 このあたり、世田谷郷は彦根藩井伊家領地であった。
墓は、右にちょっとだけ傾いていた。

 こちらは、豪徳寺境内に立つ大イチョウ。


 豪徳寺の正門がある西に出て、烏山緑道まで南下し、
緑道を少し東に回って世田谷城址公園に入った。

 ここも豊富な緑に覆われている。正午も近いので、木陰
のベンチで昼食をする。

 世田谷城は、14世紀後半に吉良治家が居住したのが
始まりとされ、のち北条氏と結んだが、天正18年(1590)
豊臣秀吉の小田原攻略により、世田谷城も廃城となった。

 昼食後、南に延びる城山通りを進み、東急世田谷線と
世田谷通りの南に回って、ボロ市通を東に向かう。

 ここがボロ市通り、12月15日の世田谷ボロ市には、
この通りは出店(でみせ)で埋めつくされるという。


 少し進んで、世田谷代官屋敷に入った。

 江戸時代の初め、この家の主、大場氏は彦根藩井伊家
世田谷領(2300石)の代官職を務め、明治維新まで世襲
したとのこと。

 この母屋は、江戸中期の元文2年(1737)と宝暦3年
(1753)の2度における工事で完成したという。
 
 約70坪(231.4㎡)あり、関東地方における代官屋敷
としての規模をよく保存していることから、母屋と表門が
国の重要文化財に指定されている。

 中に入ると、高い天井に曲がった太い梁や屋根組みが
丸見えで、当時の高い建築技術が垣間見られる。

 屋敷内には、樹齢200年といわれるタブノキをはじめ、
やはり緑が豊富で、セミの鳴き声が賑やか。屋根掛けを
したつるべ井戸も残っていた。

 地続きにある世田谷区郷土資料館に入り、出土品や
代官屋敷の模型、玉川上水の木桶などの展示を見て、
13時半前に、解散となる。

 私はこの後、東急世田谷線の西側沿いに北へ向かい、
吉良氏歴代の墓のある桜一丁目の勝光院や、源義家が
奥州の内乱を取り鎮めた記念に建てたと伝えられ、来週
15日が秋の大祭となる世田谷八幡宮、その北の常徳院
などを回り、14時20分に小田急線豪徳寺駅に着いた。

(天気 晴、距離 4.3k(郷土資料館まで)、7k(豪徳寺
 まで)、地図(1/1万) 世田谷、歩行地 世田谷区)
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