2015年9月13日(日)
埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、第226回例会に参加した。残
暑を考慮してJR中央線東小金井駅に9時集合としたが、幸い曇り空で少し風もあり、歩
くには良い陽気となる。集まった11人は、9時6分に南口をスタートした。
== ICUから野川左岸沿いに進んで深大寺へ ==
駅前の通りを南へ、東町四丁目を進むと、鉢植えのヒガンバナがかなり開花している。
西武多摩川線、新小金井駅そばの踏切を渡り、笠森稲荷神社を抜ける。秋祭りが近いのか、
氏子の方々数人が境内を清掃していた。
東町一丁目の住宅街を東進して、東北側の門から国際基督教大学(ICU)の構内に入
る。
広い構内はのびのびと育った木々が多く、学ぶには絶好の環境と感じられる。
附属高校前からレンガ造りの湯浅記念館に行くが、日曜日は休館。中心部の幾つかの建
物の間を進み、食堂の建物前でトイレ休憩とする。
本館に延びるロータリを通過し、東に接する富士重工そばの構内路を南進して、南門か
ら大学を出た。
広い通りの東八道路、都道14号を渡り、人見街道、都道11号を少しで、野川(のが
わ)左岸の遊歩道へ。「ホタルの里三鷹村案内図」があり、そばの木道を進むとホタル池
やワサビ池などがあるらしい。
ちなみに、野川は西隣の国分寺市の日立中央研究所構内から流れ出し、武蔵野台地の南
端を流れ、世田谷区で多摩川に注ぐ全長22㎞の川。流域面積は70㎢、野川の北縁に沿
った「国分寺崖線(がいせん)」と呼ぶ急な崖は、多摩川により造られた河岸段丘のひと
つで、この崖下から野川の源となる水が湧いているという。
左岸のこの辺りは「大沢の里」と呼ばれ、近くの水田では「ちびっ子農業体験」の一環
として、たくさんの子どもたちが賑やかに稲刈りをしていた。
遊歩道沿いのヒガンバナが咲き出し、近くの馬場には3頭の馬が見える。
緑に覆われた自然堤防の野川沿いを1㎞ほど進んで、川を離れた。
北東側、大沢二丁目に狭い境内だが緑豊富な古八幡社があり、参拝後境内で小休止する。
都道123号を天文台下交差点で横断し、東側の大沢一丁目に入る。都道の東を平行す
る住宅地内を500mほど北進して東へ、深大寺北町七丁目に回って都道12号、武蔵境
通りを横断し、都立神代(じんだい)植物公園の入口前に着く。
ここで、遅れて駅に到着しバスで回ってきたTさんと、Tさんの紹介で初参加の上尾の
Mさんが待っていて合流する。
植物公園には入らず、公園の塀沿いの道を西から南へと回る。南側の民家に、ワイン用
になるというブドウがたわわに実り、ポット苗の直売をしている。
家の軒先や庭先には、可愛いデザインの人形などが幾つか並んでいた。
豊富な広葉樹林の間を進み、深大寺(じんだいじ)に北側の台地上から入った。
最上部の開山堂↑から元三大師堂、本堂↓へと参拝しながら下って、本堂前で小休止する。
本堂前には元三大師像など、古い石仏が4体並んでいた。
深大寺は、733年に満功上人(まんくうしょうにん)が開基し、850年前後に比叡
山の高僧、恵亮和尚(えりようかしよう)により天台宗に改宗したとか。
広い境内は豊富な樹木に覆われ、台地からの湧水を集めた池もある。
苔(こけ)むしたかやぶきの山門を出て、名物深大寺蕎麦(そば)の店の並ぶ門前を東
に進む。
不動堂のそばで車道を横切り、南側の神代植物公園附属の水生植物園に入った。
花菖蒲園から中央部を貫く木道を進み、中ほどの中池とはす池の間の木のベンチ周辺に
11時55分に着き、昼食にする。
はす池の向こうの斜面にも、ヒガンバナが咲き出していた。
== 野川右岸を逆行して東小金井駅へ ==
記念撮影とミーティングを済ませ、12時43分に出発した。すぐ先の色づいた水田の
横から西側の広葉樹林下を進む。
入口近くで折り返して斜面を上がって深大寺城址へ。
上の広場の一角に土橋と空堀の一部が復元されているが、城の説明板などは無い。傍ら
のソバ畑には、まだ発芽して間もないソバが淡い彩りを見せていた。
水生植物園の門を出て車道を西に向かう、この通りにも何軒かの蕎麦店があるが、店の
前に待つ人が列をなす店と、そうでない店とがあり、味の違いが推察される。
車道沿いの流れ際に、かやぶき屋根の水車小屋があった。「調布市深大寺水車館」で、
ここに昭和30年(1955)頃まで使われていた水車小屋があり、それをしのんで造ら
れたという。
都道12号、武蔵境通りを横断して、少し下って野川の橋を渡る。
明大附属高校と中学校の正門前を通過し、都道123号の西側に広がる都立武蔵野の森
公園に入った。
西側が、7月26日に小型機が近くで墜落事故を起こした調布飛行場。公園中ほどのサ
ッカーグランドから撮った映像を、テレビで何度も見ているが、そのグランドのそばで小
休止した。
公園を北に抜けて都道123号を横断し、大沢五丁目へ。大沢調整池の東に回り、再び
野川右岸の遊歩道に入る。対岸に、午前に前を通過した長谷川病院が見え、少し進むと小
さい水車小屋がある。
500mほど先には「三鷹市大沢の里水車経営農家」があり、希望者は入って、ボラン
ティアの方の説明を聞く(入場料100円)。
ここには、かやぶき屋根の母屋(おもや)↑と水車小屋、製粉小屋、土蔵などが残され
ていて、江戸時代の文化5年(1808)から昭和40年代(1965~)まで水車を使
った精米・製粉作業を行っていたとのこと。
母屋には、古い機織り機が残されていた。
水車小屋には直径約4.6m、幅約1mの胸掛け式という大きな水車があり、その動力
を利用した木製歯車が複雑に組み合わされ、杵(きね)14本、挽き臼(ひきうす)2台、
やっこ飾2台、せり上げ2台という多くの装置を動かす精巧な造り。
このような大形で複雑な水車を見たのは初めてで、都の有形文化財や国の日本機械遺産
に認定されている。
かつて三鷹市内には11基の水車があり、ここ大沢地区には野川を利用した水車が6基
あったという。
対岸の河川敷に立つアオサギを見て、すぐ先の御狩野橋でいったん川を離れる。人見街
道を西に少しで龍現寺へ。
近くに生家のある新選組組長、近藤勇の菩提寺で、道路際に近藤勇の胸像があった。
参道奥の大きなサルスベリが咲き残り、本堂前の広場両側には雌雄の大イチョウが立つ
ている。
本堂左手から墓地に回ると、本堂際に近藤勇の墓があり、都指定文化財となっていた。
そばに、野川対岸の大沢の里の横穴古墳ゆかりの、横穴古墳供養塔と記された珍しい石
碑もあった。
野川右岸に戻り、東八道路下で橋を渡って左岸の遊歩道に回る。わき水広場で遊ぶ子ど
もたちの横や、湿地になっている自然観察園沿いを進む。
対岸には緑豊富な野川公園が続いている。
西武多摩川線の高架下をくぐり、二枚橋際から北斜面を上がる。東町五丁目から四丁目
へと住宅街を北進し、JR東小金井駅近くに15時41分に着く。全員、そばの「餃子の
満州」に入り、ビールで乾杯してしばらく歓談、17時10分に東小金井駅に戻り帰途に
ついた。
(参加 13人、天気 曇、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地
小金井市、三鷹市、調布市、歩数 28,700)
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埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、第226回例会に参加した。残
暑を考慮してJR中央線東小金井駅に9時集合としたが、幸い曇り空で少し風もあり、歩
くには良い陽気となる。集まった11人は、9時6分に南口をスタートした。
== ICUから野川左岸沿いに進んで深大寺へ ==
駅前の通りを南へ、東町四丁目を進むと、鉢植えのヒガンバナがかなり開花している。
西武多摩川線、新小金井駅そばの踏切を渡り、笠森稲荷神社を抜ける。秋祭りが近いのか、
氏子の方々数人が境内を清掃していた。
東町一丁目の住宅街を東進して、東北側の門から国際基督教大学(ICU)の構内に入
る。
広い構内はのびのびと育った木々が多く、学ぶには絶好の環境と感じられる。
附属高校前からレンガ造りの湯浅記念館に行くが、日曜日は休館。中心部の幾つかの建
物の間を進み、食堂の建物前でトイレ休憩とする。
本館に延びるロータリを通過し、東に接する富士重工そばの構内路を南進して、南門か
ら大学を出た。
広い通りの東八道路、都道14号を渡り、人見街道、都道11号を少しで、野川(のが
わ)左岸の遊歩道へ。「ホタルの里三鷹村案内図」があり、そばの木道を進むとホタル池
やワサビ池などがあるらしい。
ちなみに、野川は西隣の国分寺市の日立中央研究所構内から流れ出し、武蔵野台地の南
端を流れ、世田谷区で多摩川に注ぐ全長22㎞の川。流域面積は70㎢、野川の北縁に沿
った「国分寺崖線(がいせん)」と呼ぶ急な崖は、多摩川により造られた河岸段丘のひと
つで、この崖下から野川の源となる水が湧いているという。
左岸のこの辺りは「大沢の里」と呼ばれ、近くの水田では「ちびっ子農業体験」の一環
として、たくさんの子どもたちが賑やかに稲刈りをしていた。
遊歩道沿いのヒガンバナが咲き出し、近くの馬場には3頭の馬が見える。
緑に覆われた自然堤防の野川沿いを1㎞ほど進んで、川を離れた。
北東側、大沢二丁目に狭い境内だが緑豊富な古八幡社があり、参拝後境内で小休止する。
都道123号を天文台下交差点で横断し、東側の大沢一丁目に入る。都道の東を平行す
る住宅地内を500mほど北進して東へ、深大寺北町七丁目に回って都道12号、武蔵境
通りを横断し、都立神代(じんだい)植物公園の入口前に着く。
ここで、遅れて駅に到着しバスで回ってきたTさんと、Tさんの紹介で初参加の上尾の
Mさんが待っていて合流する。
植物公園には入らず、公園の塀沿いの道を西から南へと回る。南側の民家に、ワイン用
になるというブドウがたわわに実り、ポット苗の直売をしている。
家の軒先や庭先には、可愛いデザインの人形などが幾つか並んでいた。
豊富な広葉樹林の間を進み、深大寺(じんだいじ)に北側の台地上から入った。
最上部の開山堂↑から元三大師堂、本堂↓へと参拝しながら下って、本堂前で小休止する。
本堂前には元三大師像など、古い石仏が4体並んでいた。
深大寺は、733年に満功上人(まんくうしょうにん)が開基し、850年前後に比叡
山の高僧、恵亮和尚(えりようかしよう)により天台宗に改宗したとか。
広い境内は豊富な樹木に覆われ、台地からの湧水を集めた池もある。
苔(こけ)むしたかやぶきの山門を出て、名物深大寺蕎麦(そば)の店の並ぶ門前を東
に進む。
不動堂のそばで車道を横切り、南側の神代植物公園附属の水生植物園に入った。
花菖蒲園から中央部を貫く木道を進み、中ほどの中池とはす池の間の木のベンチ周辺に
11時55分に着き、昼食にする。
はす池の向こうの斜面にも、ヒガンバナが咲き出していた。
== 野川右岸を逆行して東小金井駅へ ==
記念撮影とミーティングを済ませ、12時43分に出発した。すぐ先の色づいた水田の
横から西側の広葉樹林下を進む。
入口近くで折り返して斜面を上がって深大寺城址へ。
上の広場の一角に土橋と空堀の一部が復元されているが、城の説明板などは無い。傍ら
のソバ畑には、まだ発芽して間もないソバが淡い彩りを見せていた。
水生植物園の門を出て車道を西に向かう、この通りにも何軒かの蕎麦店があるが、店の
前に待つ人が列をなす店と、そうでない店とがあり、味の違いが推察される。
車道沿いの流れ際に、かやぶき屋根の水車小屋があった。「調布市深大寺水車館」で、
ここに昭和30年(1955)頃まで使われていた水車小屋があり、それをしのんで造ら
れたという。
都道12号、武蔵境通りを横断して、少し下って野川の橋を渡る。
明大附属高校と中学校の正門前を通過し、都道123号の西側に広がる都立武蔵野の森
公園に入った。
西側が、7月26日に小型機が近くで墜落事故を起こした調布飛行場。公園中ほどのサ
ッカーグランドから撮った映像を、テレビで何度も見ているが、そのグランドのそばで小
休止した。
公園を北に抜けて都道123号を横断し、大沢五丁目へ。大沢調整池の東に回り、再び
野川右岸の遊歩道に入る。対岸に、午前に前を通過した長谷川病院が見え、少し進むと小
さい水車小屋がある。
500mほど先には「三鷹市大沢の里水車経営農家」があり、希望者は入って、ボラン
ティアの方の説明を聞く(入場料100円)。
ここには、かやぶき屋根の母屋(おもや)↑と水車小屋、製粉小屋、土蔵などが残され
ていて、江戸時代の文化5年(1808)から昭和40年代(1965~)まで水車を使
った精米・製粉作業を行っていたとのこと。
母屋には、古い機織り機が残されていた。
水車小屋には直径約4.6m、幅約1mの胸掛け式という大きな水車があり、その動力
を利用した木製歯車が複雑に組み合わされ、杵(きね)14本、挽き臼(ひきうす)2台、
やっこ飾2台、せり上げ2台という多くの装置を動かす精巧な造り。
このような大形で複雑な水車を見たのは初めてで、都の有形文化財や国の日本機械遺産
に認定されている。
かつて三鷹市内には11基の水車があり、ここ大沢地区には野川を利用した水車が6基
あったという。
対岸の河川敷に立つアオサギを見て、すぐ先の御狩野橋でいったん川を離れる。人見街
道を西に少しで龍現寺へ。
近くに生家のある新選組組長、近藤勇の菩提寺で、道路際に近藤勇の胸像があった。
参道奥の大きなサルスベリが咲き残り、本堂前の広場両側には雌雄の大イチョウが立つ
ている。
本堂左手から墓地に回ると、本堂際に近藤勇の墓があり、都指定文化財となっていた。
そばに、野川対岸の大沢の里の横穴古墳ゆかりの、横穴古墳供養塔と記された珍しい石
碑もあった。
野川右岸に戻り、東八道路下で橋を渡って左岸の遊歩道に回る。わき水広場で遊ぶ子ど
もたちの横や、湿地になっている自然観察園沿いを進む。
対岸には緑豊富な野川公園が続いている。
西武多摩川線の高架下をくぐり、二枚橋際から北斜面を上がる。東町五丁目から四丁目
へと住宅街を北進し、JR東小金井駅近くに15時41分に着く。全員、そばの「餃子の
満州」に入り、ビールで乾杯してしばらく歓談、17時10分に東小金井駅に戻り帰途に
ついた。
(参加 13人、天気 曇、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 吉祥寺、歩行地
小金井市、三鷹市、調布市、歩数 28,700)
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