あるきメデス

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荒川を挟み吉見町東部と鴻巣市西部をカントリーウオーク(埼玉)

2019-06-10 18:46:19 | カントリーウオーク
 2019年6月9日(日)

 梅雨入り3日目の今日は、カントリーウオークグループの第264回例会に参加した。
集合はJR高崎線鴻巣駅。

 西口から10時26分発東松山駅行川越観光バスに乗り、荒川の御成橋(おなりばし)
を越えた古名(こみょう)バス停で10時32分に下車した。


== 川幅日本一を確認して吉見運動公園の管理事務所へ ==

 北側の旧道から荒川右岸堤防に上がり、御成橋西詰に回ると「川幅日本一」の標柱が立
っていた。
     
 吉見町と鴻巣市との間を流れる荒川の川幅は2,537mあり日本一。ちなみに川幅は、
「荒川左右岸の計画最高水位での堤防間の距離」としているという。



 堤防から望む堤内(ていない・住宅地側)は早苗田の田んぼと新緑の森などが、幅広い
堤外(流れ側)に流れは見えず、広大な草地と幾つもの常緑広葉樹の塊が望まれる。



 川幅日本一の実際の位置は、橋から上流360m、河口から62㎞の地点で、そこにも
標識が立っていた。
    


 今にも降り出しそうな雨雲の下、早苗田に影映す田んぼや、広大な堤外の草地など眺め
ながら1㎞ほど進み、送電線の下で堤防を下る。


    
 北下砂集落に入ると、民家にユリやノカンゾウなどが咲き出し、大きなビワの木に色づ
いた実がたわわに実る。





 北側の小さなお堂は龍渕寺(りゅうえんじ)で、墓地のそばに吉見町指定考古資料で宝
暦9(1759)年造立の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が立っていた。
          
 塔内には紙の曼荼羅経のほかに、銅板の経が納められていたとか。水害の多かった吉見
町では、腐朽しやすい紙本のほかに銅版なら永続的に残りやすいからという。


 さらに北へ少し、県道76号下を跨道橋で抜けて、昼食地の吉見運動公園管理事務所に
11時45分に着いた。

 運動公園の利用者や荒川右岸の自転車道を走るサイクリストなどのための休憩施設にな
っていて、小規模の売店やカフェ、自販機などもある。

 屋内外にある休憩用椅子に腰を下ろして昼食とする。

== 荒川左岸の寺社を巡り鴻巣駅へ ==

 食事を終えてミーティングをして、12時45分に運動公園管理事務所を出た。

 堤防を越えて東側から北へと広がる吉見運動公園に下り、テニス場エリアから多目的広
場へ。

 広々とした草地のところどころにメタセコイア並木がある。それらを眺めながら草地を
県道76号・鴻巣川島線沿いに東進し、中ほどで記念撮影をした。




 公園の東端まで進み、県道が左カーブして糠田橋(ぬかたばし)となるところで県道下
を抜けて糠田橋に上がる。


 見下ろす堤外の小麦畑は、麦秋を迎えて小麦色の広大な畑が一面に広がり、その向こう
にはJR鴻巣駅周辺のビル群も望まれた。



 橋の中ほどで荒川の流れが見下ろせ、上流側右手に利根川からの導水路・武蔵水路が合
流している(下の写真は下流側)。
     


 左岸に渡り終え、堤防下の公衆トイレ際から県道の下を西に抜け、そばの聖泉寺で小休
止した。





 墓地には、累代住職の墓らしい宝篋印塔に似た墓が建ち並ぶ。山門を入り左手には、文
久3(1863)年からという「歯目鼻の神様」の小さな祠(ほこら)が祀られていた。
                  

 南西側すぐ先にうっそうとした鎮守の森がある。県の「ふるさとの森」に選定された糠
田氷川神社の森で、参道沿いや本殿背後には鴻巣市保護樹木のケヤキやイチョウ、カシな
どの古木が目につく。
     

 糠田氷川神社は文禄の頃(1692~6)までは小社だったが、寛永年中(1624~
44)に村の鎮守として造営されたよう。



 現在の本殿は享保3(1718)年の建立で、本殿の四周を飾る精緻な木彫は市指定文
化財。




 だが、近年その一部が心ないものに盗まれてしまったという。ここでも社務所の濡れ縁
で小休止した。



 北東側近くの放光寺にも立ち寄る。境内のアジサイやタイサンボクが咲き出していた。
    

          


 本堂前に数個のハス鉢が並び、中でたくさんのメダカが泳いでいた。本堂前には小規模
の枯山水もある。
    

 本田一ノ割集落を東へ、糠田橋から延びた県道76号下を抜けて、ひとつ北に並行する
道へ。

              
 民家にユリが咲き、そばの畑では、もうコスモスが花開く。たわわに実をつけたブドウ
の目につく民家もある、
     

        

 集落東端の足立北部排水路際、区画整理記念碑の横に青面金剛像の石塔が立ち、側面は
「東 鴻巣十八丁」などの道しるべになっていた。
         


 足立北部排水路を越えて本田五ノ割集落を東北に抜け、登戸集落にある永林寺へ。

 徳川家光が三代将軍になった約380年前の開創のよう。境内前面で、庭を掃く小坊主
姿の石像が迎えてくれた。
         

 住宅地の中を登戸から緑町、大間二丁目へと南東に進み、拝殿の西側から大野神社に入
る。

 創建は天慶元(938)年で、長元3(1030)年には源頼義が平忠常の謀反征伐の
ため、獅子頭を掛けて祈願したとか。江戸時代は氷川神社だったが、明治19(1886)
年に大野神社に改称したという。


 最近は 来年末で活動を停止するというアイドルグループ「嵐」の聖地として知られる
ようになったようで、「嵐」に関わる祈願の絵馬がたくさん奉納されていた。
    

         

 参道を進んで南側の町道に出て、戸建て住宅地を南東へと進む。鴻巣市のマンホールに
は特産のおひな様が。
    

 ゴールの鴻巣駅西口には15時45分に着いた。


 心配された雨は午前中わずかに感じた程度で傘を差す必要も無く、気温も20℃ほど。
梅雨時としてはまことに歩きやすい一日であった。

(参加 15人、天気 曇、距離 10㎞、地図(1/2.5万)、東松山、鴻巣、
 歩行地 吉見町、鴻巣市、歩数 19,400)





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