2019年10月16日(月・祝)
敬老の日だが、市の敬老の催しには例年同様参加せず、カントリーウオークグループの
9月例会に参加した。
予報では午前中は雨が残るかと心配されたが、集合地の東武東上線東松山駅に着いたら
ほぼ止んでいた。
== 下野本の寺や古墳を巡り辰濃文庫へ ==
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/5f/bfc7369b895f52e3aa22508c2286b091.jpg)
10時13分に東口をスタートして2階の駅舎から道路に下りると、今日の昼食地、辰
濃文庫ゆかりの辰濃和男(たつのかずお)さんが日本スリーデーマーチについて朝日新聞
の天声人語で記した、「楽しみながら歩けば 風の色がみえてくる」碑があった。
その左手に新しい碑が目に入る。2015年にノーベル物理学賞を受賞した、東松山市
出身の梶田隆章(かじたたかあき)さんの受賞記念碑だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/49/f2478bc503b83a23f0b97b1d4cc27dc4.jpg)
線路に平行の道を南へ、近くのY字路で南東に進むと、長い間広大な空き地だったボッ
シュの工場跡地にビバモールを建設中で、鉄骨がほぼ完成していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/e4/d57af3def859cdd6349ecd8f238ab0b1.jpg)
その東端の変則六差路から南への細道へ。民家の軒先にキノコの飾り物が並び、その先
の草地には大きなキノコが幾つも生えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/1f/9dffce5e210e8990365583c2884fefbf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/3e/7ec9ebc9b9114efe530303eb98d46532.jpg)
今年は育ちが遅いのか、栗のいがはまだ緑色。近くの畑の隅のニラが花盛り。
国道254号バイパス沿いを少しで国道の南に回り、向山集落を南に抜けると、かなり
色づいた水田が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/a9/293d02be2a225772a5b4c2366d5a44dc.jpg)
まずは、すぐ近くの清見寺(せいけんじ)に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/ea/43ab62bb3af9f28f7366b887412ec157.jpg)
上田能登守朝直が帰依(きえ)していた地蔵尊を安置して、元亀年間(1570~73)
に地蔵堂を建立したのが始まりのようだが、地蔵尊は確認できない。
本堂左手に「市指定考古資料 清見寺心字座板石塔婆」の標柱がある。そばに三つ並ぶ
板碑の中央がそれらしく、鎌倉中期の建長元(1249)年造立のよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/76/ee7df2bf17515c5077d5d72d1a579116.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ff/81eac34af0dbc30568d8dc24701a5753.jpg)
東側近くで国道407号を横断し、すぐ先の無量寿寺へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/16/0fbaa9a37be68daf8b3bb6a537545317.jpg)
山門近くに「線香地蔵尊」のお堂があり、山門前に市指定文化財「野本館跡(のもとや
かたあと)」の説明板が立つていた。そばに黄色い花が咲く
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/24/ee1b768acf28cbf077b1641958cb2ca4.jpg)
ここは、野本基員(のもともとかず)を初代とする野本氏一族の館跡。平安時代の公卿
藤原基経(836~891・堀川大臣)の警護をしていた片田基親の子が武蔵国野本に移
り住んで野本左衛門と名のったのが、野本氏の始まりのよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/dc/c426247ad7b82ea67f8f9dfdae4e80e8.jpg)
基員は源頼朝の信頼が厚かった武士で、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にも登場する人物
だという。
館は現在、無量寿寺の境内地で、本堂の北側に土塁(どるい)と堀がわずかに残るだけ
だが、当時は二重の堀と土塁を廻した構造だったらしい。
徳川家康が関東入国した天正19(1591)年には、寺領10石の御朱印状を受領し
ているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/77/28f8e1a48540a7a406e99c3cfe24418c.jpg)
寺の南側に、杉木立などに覆われたこんもりした森がある。県指定史跡・野本将軍塚古
墳で、県内第2位の前方後円墳とか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ff/0272ee9b9c1c662c330eee513bd350cf.jpg)
墳丘の全長115m、高さは前方部8m、後円部15mで、まだ学術調査がされてない
ので詳細は不明だが、5世紀終わり頃に造られたものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/d8/7f3877dfb4bfb566c65f1efd6ec60b7c.jpg)
後円部墳丘上に社殿があるが、何神社かは不明。南側の前方部上部には二つの忠魂碑が
立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/5f/034d67ca1218ef58e6185408be5d30a9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ac/4442d834126e0f98b49cabbfcfa06a6b.jpg)
古墳前の県道345号を東へ、少し先に大きな流木を並べた中華料理店が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/8b/7c53f9687a0dc4761d6713e55392a44d.jpg)
その東側には市の学校給食センターと埋蔵文化財センターの入る建物が目に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/3d/801ddb135e694c2acc8cdc9245098970.jpg)
天神社の先から北東に進んで曲輪(くるわ)集落に入り、台地を背にしてうっそうとし
た木々に覆われた、了善寺境内へと石段を上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/40/ca561e56a6dc615d046ac3710642b7bd.jpg)
了善寺は、了海(天正17(1589)年没)が三河国に開山し、渡邊丹後守が当地を
知行(ちぎょう)時に三河から呼び寄せて移転したという。
第10世住職の嵩俊海は日本屈指の漢詩人で、20歳の嘉永5(1852)年に「春桂
家塾」と呼ぶ学問所を開き、大正3(1914)年の閉塾までに門弟3千人を超したとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/8c/1e802798aec5813003243ba98e76e888.jpg)
その塾跡は市指定史跡になっていて、東屋(あずまや)のような建物が境内中段に残っ
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/13/ba5b4f46868f73f7e75594466ebad34b.jpg)
本堂前のモミジの1枝だけが色づく。今日の担当のKさんが庫裡(くり)に挨拶に行っ
たら、ご住職夫妻が本堂を開けて下さり、上がらせてもらう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/8b/2ec7f764fa04dada319b6a0ff4976272.jpg)
本堂は大正時代の再建とのこと。正面の梁は境内に立っていたというヒノキの太い一木
(いちぼく)で、立派な彫刻が施されていた。
奥様は、女性登山の先駆者・坂倉登喜子さんと登山されたようで、エーデルワイスクラ
ブの会員だったのだろうか。
寺の東南側に立つ火の見やぐらの横から背後の台地へ。傍らの曲輪集会所は、大正か昭
和前期の建築かと思われる貴重な建造物だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/a2/2c62959af15072f9d67ffce8b25f2550.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/28/5d1c034cc00f52993257f58aacf7eaac.jpg)
寺の東側のザクロが色づき、墓地際にたくさんのハギが咲き競う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/4d/5b11df3721c74c50dfb88e3a3c3928e7.jpg)
近くの畑にヒャクニチソウが咲き残り、大きな栗の木にまだ熟しきらないイガたたくさ
ん付いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/e7/ccc0b2949c9fcb7f7e12269b2a6c6f2b.jpg)
曲輪集落を東南東に進んで国道407号を横断し、等覚院の横を西から北へと回り込む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/75/18073e575a4b978482c81cb6843b43e7.jpg)
寺の背後一帯はまだ若葉のソバ畑が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/20/3bd8d2c0e0ac3cb12629697a3723966f.jpg)
東松山市東南端の集落、古凍(ふるごおり)に入り、鷲宮大明神前を東へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/14/94926578658cb97a00079b29e424bbe9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/f9/83d023421d85675864eb6a059ff18ee3.jpg)
鳥居の横にはたくさんの花が咲き競い、近くにかやぶき屋根をトタンで覆った民家が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/d2/66e4cea94bb2312d3033ead28ebfae62.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/fd/4f725ee6a3dea0b7e324da1fd861911a.jpg)
その先を北に入り、昼食地の辰野文庫に12時42分に着いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/08/97af6045a817a89efcf6ba03df6bb3e7.jpg)
辰野文庫は、朝日新聞「天声人語」を約13年間執筆した辰濃和男さんの蔵書約1万冊
を無料で貸し出す。ここは、昨年12月に死去した辰濃さんの遺族から寄贈された図書を、
吉見町の建築家、佐藤清さんが古い土蔵を改造して公開したもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d8/c380c32b7a186d729655fc8e724760ec.jpg)
まずは、ベジダリアンランチやコーヒーなども味わえる大きな母屋に入り、休憩卓で昼
食をする。昼食後、母屋西側の土蔵にある辰野文庫を訪ねた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/aa/749cb09bcf564ac4a95a28179a00c097.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/85/5670fe370a4ca054403f0e91c50fb528.jpg)
四周の壁面に並ぶ書棚には「水」「日本語 話す」「歩く」「新聞記者 芸能」「沖縄
戦争 平和」「人物」などに区分された図書や、分類されてないものなどが並ぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/2a/3c434950750e4eb7ce3be8451f6e4888.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/6a/55d5b7a63f43d121a6f4c1d1e268bb6f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/c2/86461a75d231068c0f21de274e000565.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/94/31c6e699d496639e445e836d6f81e10b.jpg)
中央のテーブルや2階にも少し蔵書があり、辰濃さんが13年にわたり執筆された「天
声人語」も目につく。入口横には、辰濃さんの写真と色紙も飾られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/14/4c0dd5640702bb2c3ebeb0ff385daef1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/70/fb6fd5c6fabd09aa56c5f94973f4d156.jpg)
蛇足ながら、私は辰濃さんの著書「四国遍路」(2001年刊)を読んだ後の2004
年晩秋、初めての四国遍路の途中、辰濃さんが同書で紹介していた若い三味線奏者、月岡
由紀子(つきおかゆきこ)さんの演奏を、夜に高知県西端の村のホールで、翌日は県境に
なっている遍路道の峠上で聞いたことを思い出す。
辰野文庫の前で記念撮影をして、13時40分に出発した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/47/0f65a01ef965a78469b73cb9fc640dfd.jpg)
== 黄金色の田園や大沼を経てウオーキングセンターへ ==
南側の県道345号に出て東へ、「国分牧場」と呼ぶ牛関連のレストラン前を過ぎ、市
町境の市野川(いちのかわ)の慈雲寺橋を渡り吉見町に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/5d/f696a464156744f28455e1e024c92ad7.jpg)
カモジグサかと思われる穂の出た草の並ぶ左岸堤防を400mほど進んで堤防を離れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a6/6ba64fb5f9d0bde7322356e2c75b5960.jpg)
色づく田んぼの間を進むと、若木のブルーベリー畑にたわわについた実が熟していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/7d/f593ae652625dab28cf2c4957b9890ce.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/50/f39c8ca59258b3b17f6a64787620fd7f.jpg)
流れの突き当たりまで進んで東へ、最初の橋を渡り、少し先で折り返す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/46/b0ea4461c2654dcbf4ac8e33b525f3cb.jpg)
県営ほ場整備事業竣工記念碑のある用水池の角を曲がり、田んぼの間を1㎞ほど北へ、
左手に大きな貯蔵庫らしい建物が2棟見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/61/c7aea87a623c3101d125b0badf9a7965.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d6/06a40c1f546ee814fc080258288558f1.jpg)
台地に突き当たり、県道27号を少し西進して東北に上がり、晴れ間が広がり蒸し暑く
なった天神沼西端の建物前で小休止した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/51/7cc8633f866caf535eed94626c7103ba.jpg)
西に延びる細道を進んで大沼の東岸に出た。沼を眺めながら南岸を進み、南吉見集落の
長源寺に入って再度小休止する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/18/52e3dfd3dbee54736dced99f9d2d1b79.jpg)
境内南側に、午前中にも見た白いキノコがたくさん傘を開いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/84/53da6d675f49323f4186e1179ea0fa04.jpg)
南側の県道27号に戻って西へ、西日を正面から受けて暑さを感じる。丘陵上に見える
武蔵丘短大の下や、「比企城館跡群」の一つとして国の史跡に指定されている松山城跡下
を南から西へと回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/2d/55c1112dd4c32f9c06e86b297b98f881.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/42/8ea48248823ccd273dec731ff33a9c83.jpg)
吉見百穴が間近な市野川の市の川橋を渡り、東松山市に戻った。市街地に入った県道を
西進して、ウオーキングの町東松山のシンボル、東松山ウオーキングセンターに入って最
後の休憩をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/62/23d5d4bf1b28ca572f85271dc380b7ec.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/15/707389f26489f77c34829b6328fd595a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/cd/3f12ba5196fbcde33d912f2e010e3a22.jpg)
さらに県道を西へ、下沼公園の南端から沼を見下ろし、ゴールの東松山駅に16時40
分に着いた。
(参加 11人、天気 曇後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 東松山、歩行地
東松山市、吉見町、歩数 24,300)
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敬老の日だが、市の敬老の催しには例年同様参加せず、カントリーウオークグループの
9月例会に参加した。
予報では午前中は雨が残るかと心配されたが、集合地の東武東上線東松山駅に着いたら
ほぼ止んでいた。
== 下野本の寺や古墳を巡り辰濃文庫へ ==
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/5f/bfc7369b895f52e3aa22508c2286b091.jpg)
10時13分に東口をスタートして2階の駅舎から道路に下りると、今日の昼食地、辰
濃文庫ゆかりの辰濃和男(たつのかずお)さんが日本スリーデーマーチについて朝日新聞
の天声人語で記した、「楽しみながら歩けば 風の色がみえてくる」碑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/1b/f7de9268eb3002a15b2927275460d0ba.jpg)
その左手に新しい碑が目に入る。2015年にノーベル物理学賞を受賞した、東松山市
出身の梶田隆章(かじたたかあき)さんの受賞記念碑だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/49/f2478bc503b83a23f0b97b1d4cc27dc4.jpg)
線路に平行の道を南へ、近くのY字路で南東に進むと、長い間広大な空き地だったボッ
シュの工場跡地にビバモールを建設中で、鉄骨がほぼ完成していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/e4/d57af3def859cdd6349ecd8f238ab0b1.jpg)
その東端の変則六差路から南への細道へ。民家の軒先にキノコの飾り物が並び、その先
の草地には大きなキノコが幾つも生えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/1f/9dffce5e210e8990365583c2884fefbf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/3e/7ec9ebc9b9114efe530303eb98d46532.jpg)
今年は育ちが遅いのか、栗のいがはまだ緑色。近くの畑の隅のニラが花盛り。
国道254号バイパス沿いを少しで国道の南に回り、向山集落を南に抜けると、かなり
色づいた水田が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/a9/293d02be2a225772a5b4c2366d5a44dc.jpg)
まずは、すぐ近くの清見寺(せいけんじ)に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/ea/43ab62bb3af9f28f7366b887412ec157.jpg)
上田能登守朝直が帰依(きえ)していた地蔵尊を安置して、元亀年間(1570~73)
に地蔵堂を建立したのが始まりのようだが、地蔵尊は確認できない。
本堂左手に「市指定考古資料 清見寺心字座板石塔婆」の標柱がある。そばに三つ並ぶ
板碑の中央がそれらしく、鎌倉中期の建長元(1249)年造立のよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/76/ee7df2bf17515c5077d5d72d1a579116.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ff/81eac34af0dbc30568d8dc24701a5753.jpg)
東側近くで国道407号を横断し、すぐ先の無量寿寺へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/16/0fbaa9a37be68daf8b3bb6a537545317.jpg)
山門近くに「線香地蔵尊」のお堂があり、山門前に市指定文化財「野本館跡(のもとや
かたあと)」の説明板が立つていた。そばに黄色い花が咲く
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/24/ee1b768acf28cbf077b1641958cb2ca4.jpg)
ここは、野本基員(のもともとかず)を初代とする野本氏一族の館跡。平安時代の公卿
藤原基経(836~891・堀川大臣)の警護をしていた片田基親の子が武蔵国野本に移
り住んで野本左衛門と名のったのが、野本氏の始まりのよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/dc/c426247ad7b82ea67f8f9dfdae4e80e8.jpg)
基員は源頼朝の信頼が厚かった武士で、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にも登場する人物
だという。
館は現在、無量寿寺の境内地で、本堂の北側に土塁(どるい)と堀がわずかに残るだけ
だが、当時は二重の堀と土塁を廻した構造だったらしい。
徳川家康が関東入国した天正19(1591)年には、寺領10石の御朱印状を受領し
ているという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/77/28f8e1a48540a7a406e99c3cfe24418c.jpg)
寺の南側に、杉木立などに覆われたこんもりした森がある。県指定史跡・野本将軍塚古
墳で、県内第2位の前方後円墳とか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ff/0272ee9b9c1c662c330eee513bd350cf.jpg)
墳丘の全長115m、高さは前方部8m、後円部15mで、まだ学術調査がされてない
ので詳細は不明だが、5世紀終わり頃に造られたものらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/d8/7f3877dfb4bfb566c65f1efd6ec60b7c.jpg)
後円部墳丘上に社殿があるが、何神社かは不明。南側の前方部上部には二つの忠魂碑が
立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/5f/034d67ca1218ef58e6185408be5d30a9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e3/bcfa7dcb72e6d70a63a996f086f28ec6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/ac/4442d834126e0f98b49cabbfcfa06a6b.jpg)
古墳前の県道345号を東へ、少し先に大きな流木を並べた中華料理店が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/8b/7c53f9687a0dc4761d6713e55392a44d.jpg)
その東側には市の学校給食センターと埋蔵文化財センターの入る建物が目に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/3d/801ddb135e694c2acc8cdc9245098970.jpg)
天神社の先から北東に進んで曲輪(くるわ)集落に入り、台地を背にしてうっそうとし
た木々に覆われた、了善寺境内へと石段を上がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/40/ca561e56a6dc615d046ac3710642b7bd.jpg)
了善寺は、了海(天正17(1589)年没)が三河国に開山し、渡邊丹後守が当地を
知行(ちぎょう)時に三河から呼び寄せて移転したという。
第10世住職の嵩俊海は日本屈指の漢詩人で、20歳の嘉永5(1852)年に「春桂
家塾」と呼ぶ学問所を開き、大正3(1914)年の閉塾までに門弟3千人を超したとか。
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その塾跡は市指定史跡になっていて、東屋(あずまや)のような建物が境内中段に残っ
ていた。
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本堂前のモミジの1枝だけが色づく。今日の担当のKさんが庫裡(くり)に挨拶に行っ
たら、ご住職夫妻が本堂を開けて下さり、上がらせてもらう。
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本堂は大正時代の再建とのこと。正面の梁は境内に立っていたというヒノキの太い一木
(いちぼく)で、立派な彫刻が施されていた。
奥様は、女性登山の先駆者・坂倉登喜子さんと登山されたようで、エーデルワイスクラ
ブの会員だったのだろうか。
寺の東南側に立つ火の見やぐらの横から背後の台地へ。傍らの曲輪集会所は、大正か昭
和前期の建築かと思われる貴重な建造物だ。
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寺の東側のザクロが色づき、墓地際にたくさんのハギが咲き競う。
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近くの畑にヒャクニチソウが咲き残り、大きな栗の木にまだ熟しきらないイガたたくさ
ん付いていた。
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曲輪集落を東南東に進んで国道407号を横断し、等覚院の横を西から北へと回り込む。
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寺の背後一帯はまだ若葉のソバ畑が広がる。
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東松山市東南端の集落、古凍(ふるごおり)に入り、鷲宮大明神前を東へ。
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鳥居の横にはたくさんの花が咲き競い、近くにかやぶき屋根をトタンで覆った民家が。
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その先を北に入り、昼食地の辰野文庫に12時42分に着いた。
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辰野文庫は、朝日新聞「天声人語」を約13年間執筆した辰濃和男さんの蔵書約1万冊
を無料で貸し出す。ここは、昨年12月に死去した辰濃さんの遺族から寄贈された図書を、
吉見町の建築家、佐藤清さんが古い土蔵を改造して公開したもの。
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まずは、ベジダリアンランチやコーヒーなども味わえる大きな母屋に入り、休憩卓で昼
食をする。昼食後、母屋西側の土蔵にある辰野文庫を訪ねた。
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四周の壁面に並ぶ書棚には「水」「日本語 話す」「歩く」「新聞記者 芸能」「沖縄
戦争 平和」「人物」などに区分された図書や、分類されてないものなどが並ぶ。
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中央のテーブルや2階にも少し蔵書があり、辰濃さんが13年にわたり執筆された「天
声人語」も目につく。入口横には、辰濃さんの写真と色紙も飾られていた。
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蛇足ながら、私は辰濃さんの著書「四国遍路」(2001年刊)を読んだ後の2004
年晩秋、初めての四国遍路の途中、辰濃さんが同書で紹介していた若い三味線奏者、月岡
由紀子(つきおかゆきこ)さんの演奏を、夜に高知県西端の村のホールで、翌日は県境に
なっている遍路道の峠上で聞いたことを思い出す。
辰野文庫の前で記念撮影をして、13時40分に出発した。
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== 黄金色の田園や大沼を経てウオーキングセンターへ ==
南側の県道345号に出て東へ、「国分牧場」と呼ぶ牛関連のレストラン前を過ぎ、市
町境の市野川(いちのかわ)の慈雲寺橋を渡り吉見町に入る。
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カモジグサかと思われる穂の出た草の並ぶ左岸堤防を400mほど進んで堤防を離れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/a6/6ba64fb5f9d0bde7322356e2c75b5960.jpg)
色づく田んぼの間を進むと、若木のブルーベリー畑にたわわについた実が熟していた。
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流れの突き当たりまで進んで東へ、最初の橋を渡り、少し先で折り返す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/46/b0ea4461c2654dcbf4ac8e33b525f3cb.jpg)
県営ほ場整備事業竣工記念碑のある用水池の角を曲がり、田んぼの間を1㎞ほど北へ、
左手に大きな貯蔵庫らしい建物が2棟見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/61/c7aea87a623c3101d125b0badf9a7965.jpg)
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台地に突き当たり、県道27号を少し西進して東北に上がり、晴れ間が広がり蒸し暑く
なった天神沼西端の建物前で小休止した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/51/7cc8633f866caf535eed94626c7103ba.jpg)
西に延びる細道を進んで大沼の東岸に出た。沼を眺めながら南岸を進み、南吉見集落の
長源寺に入って再度小休止する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/18/52e3dfd3dbee54736dced99f9d2d1b79.jpg)
境内南側に、午前中にも見た白いキノコがたくさん傘を開いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/84/53da6d675f49323f4186e1179ea0fa04.jpg)
南側の県道27号に戻って西へ、西日を正面から受けて暑さを感じる。丘陵上に見える
武蔵丘短大の下や、「比企城館跡群」の一つとして国の史跡に指定されている松山城跡下
を南から西へと回る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/2d/55c1112dd4c32f9c06e86b297b98f881.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/42/8ea48248823ccd273dec731ff33a9c83.jpg)
吉見百穴が間近な市野川の市の川橋を渡り、東松山市に戻った。市街地に入った県道を
西進して、ウオーキングの町東松山のシンボル、東松山ウオーキングセンターに入って最
後の休憩をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/62/23d5d4bf1b28ca572f85271dc380b7ec.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/15/707389f26489f77c34829b6328fd595a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/cd/3f12ba5196fbcde33d912f2e010e3a22.jpg)
さらに県道を西へ、下沼公園の南端から沼を見下ろし、ゴールの東松山駅に16時40
分に着いた。
(参加 11人、天気 曇後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 東松山、歩行地
東松山市、吉見町、歩数 24,300)
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