あるきメデス

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蓮田から岩槻へ 武州鉄道廃線跡を訪ね歩くウオーキング(埼玉)

2019-02-13 17:16:55 | カントリーウオーク
 2019年2月11日(祝・月)

 埼玉県内を中心のカントリーウオークグループが、スタートからまる26年になる記念
日の今日は、武州鉄道の蓮田~岩槻間に残る痕跡を訪ね歩いた。

 集合はJR宇都宮線蓮田駅。予報では降雪の心配もあったが雪にはならず曇天、でも気
温は低い。10時ちょうどに蓮田駅東口をスタートした。


 ちなみに、武州鉄道は蓮田からさいたま市岩槻、大門を経て、川口市神根(現神戸(ご
うど))までの鉄道。大正13(1924)年に今日歩く蓮田~岩槻間がまず開業したが、
14年後の昭和13(1938)年に営業廃止となり、線路跡もわずかしか残っていない
よう。

 線路沿いの通りを少し西進し、交番のある交差点を左折して南東へ真っ直ぐに伸びる車
道を進む。

 蓮田三丁目で右折し、神亀(しんかめ)酒造の醸造所の周囲を北から西、南へとコの字
状に回る。北側にあった売店は今日は休業日だった。

 神亀酒造は日本酒蔵において最初に全量純米酒にしたことで知られ、現在も米と米麹
(こめこうじ)と水からのみで日本酒を造っているという。


 元の道に戻り、すぐ先で東へと進む。スイセンの咲く日陰の畑には、2日前の雪が残る。



 その辺りから東に見える林は小川原家の屋敷林で、「さいたま緑のトラスト」の保全7
号地だという。近くには安産子育てに御利益ある、延命地蔵尊が祭られていた。
         

 すぐに国道122号バイパスに出た。S字状カーブの中ほどに材木店があり、その南側
の畑の隅に「馬込車站(まごめしゃたん)建設碑」があった。
          
 「昭和6(1931)年2月1日」とも刻まれていて、武州鉄道馬込停車場のあったと
ころ。

 碑の上部は欠け落ち左側表面も剥落(はくらく)していたが、支え持って記念撮影する。
ここからも、緑のトラスト7号地の林が間近である。


 S字状カーブの終わる辺りで国道を離れて東へ、住宅地の間を東南東に延びる道路があ
り、これが武州鉄道の線路跡とのこと。


    
 沿道の家の紅梅が見頃で、近くの畑の向こうには屋敷林の残る民家も望まれた。


 東北自動車道の上を越え、東側の馬込交差点で東北自動車道の東側側道を横断する。そ
の先東南東に延びる静かな里道も武州鉄道の線路跡。


 河合小の校門横に小さい稲荷神社が祭られていた。どこにでもあるような稲荷神社だが、
この神社には岩槻の料亭お抱えのタクシー会社の運転手と狐との伝説があるという。
     

    
 河合小の南に回り、平林寺集落を東進する。紅梅、白梅、ピンクの3色の梅が見頃にな
った住宅があり、紅梅の下からはフクジュソウも咲き出していた。
    

               


 クランク状にカーブした曲がり角の家に黒と白の2頭の馬の像が置かれていたが、どの
ような作品なのか説明板などはない。
    

 すぐ先の十字路を右折すると、平林寺公民館に延びる短い直線が廃線跡のよう。


         
 すぐ先の十字路際に「片割れ地蔵」と呼ぶお地蔵さんが立ち、そばの小さい林には「平
林寺跡」の表示がある。

 ここは、県内新座市野火止にある平林寺があったところ。平林寺は、永和元(1375)
年にこの地に創建されたが、豊臣秀吉の小田原城征伐の影響を受け、塔頭(たっちゅう)
のひとつが残るだけとなったとか。

 のち関東に領地替えとなった徳川家康が鷹狩りに訪れ、休息で立ち寄った際に再興を約
束し、天正20(1592)年に新座市に中興されたとのこと。

 片割れ地蔵は、もとはこの地に一対の地蔵さんがあったが、そのひとつは現在の平林寺
に祭られたので、ひとつだけ残ったよう。

 この先は、真っ直ぐに伸びる畑と民家の散在する通りを平林寺集落から箕輪集落へと
1.2㎞余り東進する。武州鉄道はすぐ北側をほぼ並行していたようだが、その痕跡はな
いらしい。

 T字路に突き当たって左折、すぐの十字路を北東に入った先で、住宅の並びが少し周辺
と違う細い通りが線路跡と分かる。


 十字路に戻り東へ、次の十字路を左折した先にも線路跡の道路が残っていた。


 美幸町から日ノ出町へと東南東に進み、南側にも短い線路跡を確認した。
     

 県道65号・日光御成街道などとの変則五差路を右折して、もとは岩槻城の堀だったと
いう車道を南へと進む。


 愛宕町にあった「愛宕ふれあい広場」が今日のゴール。12時35分に着いた。ミーテ
ィングをして解散とする。

 この後、用事で帰るTさん以外は岩槻駅の東北近くにある「コロッケカフェふれあい」
に12時50分に入る。
     

    
 まずは暖かいカレースープとコロッケ入りサンドイッチをいただく。その後、昼食を兼
ねた26周年記念の会食をして、2時間近くの宴を楽しんだ。


 ちなみに降雪こそなかったがうす寒い一日で、さいたま市の最高気温は4.4℃だった。

(参加 11人、天気 曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万)、岩槻、歩行地 蓮田市、
 さいたま市岩槻区、歩数 11,500)


 なお、「コロッケカフェふれあい」の藤野ヒロ子さんは、もと透明水彩画をされていた
が、現在は絵皿に植物などを描く工芸作家として活動されているとか。

 絵皿の焼成はどうされているのか伺うと、最近は断熱性能のよいファイバー材があるの
で大がかりな焼釜は必要なく、60㎝角くらいの釜の周囲をファイバーで覆えば室内でも
焼けるようで、藤野さんもこの上の階の自宅にそのような焼釜を設置して、電気炉で焼成
しているという。

 会場の壁面には、藤野さんが制作された美しい絵皿がたくさん並んでいた。
    



 藤野さんは、近くの東武アーバンパークライン岩槻駅に近いWATSU西館の3階で開
催している、さいたま市岩槻区の「第7回人形の里 区民総合文化芸術祭」のプロ作家の
展示にも出展されているとのこと。

 
 会食終了後は皆で会場に行き、藤野さんの作品↑を始め多くのプロ芸術家の油絵、水彩画、
人形、書、藤工芸など多彩な作品の数々を観覧する。


    

         



     



        

    



     
 さらに、岩槻駅東口駅前にある、人形のまち岩槻の代表的な人形店ともいえる東玉(と
うぎょく)総本店の4階で開催中の、「変わり雛(びな)」の展示も観ることにした。

      
 人形の東玉では、毎年その年に起こった印象深い出来事を全国から一般公募し、それら
をモチーフにした人形を製作、発表しており、まもなく平成の終わる今回は平成時代30
年分の変わり雛を一挙公開することになったよう。


 会場では、30年分の変わり雛を年代順に、各々の年の上位3点ずつ展示している。





 それらを観覧しながら、ああ、この年はこんな人が話題になったのだったかと、忘れて
いたことも多かった。
     














 あわせて、隣接するたくさんの武者人形などの展示も一巡して眺める。




         


 帰路は、東武アーバンパークライン岩槻駅↑から15時45分発大宮行急行電車に乗る。





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