2009年5月24日(日)
南会津、下郷町大松川の旧大松川分校に泊まった翌日、全員で南
方の山間にある、観音沼まで往復することにした。
不要な荷物は置いて軽装になり、記念撮影をして7時半過ぎ、分校
跡を出発した。
旧道沿いの宮内に入り、次の原集落に向かう。田んぼの向こうの斜
面に、広葉樹の大木が見える。
周辺の棚田は、田植え後間もなく、木々や民家などの影を映す。
レンゲツツジ咲く原集落から続く木令集落に入り、旧道と新国道と
の合流点付近の斜面下にある不動尊に寄る。
寄せ棟造り、落ち着いたたたたずまいのお堂。すぐ横の斜面には、
「不動桂(ふどうかつら)」と呼ぶカツラの大木が繁り、根元に石仏が祭
られている。
背後の斜面から、まろやかなや味わいの名水が流れ落ちていた。
国道そばの広場では、「お不動さま直売所」と記されたテントを張り、
地元農家の方が、農産物直売所の準備を進めていた。
そばの案内板には、これから進む道筋である松川街道の、ルートや
歴史などが記されている。
それによれば、下野(しもつけ)街道が地震により通行不能になった
ため、元禄8年(1695)に開削されたが、本街道としての役割は9年
足らずとか。しかし、脇街道になった後も米や葉タバコなどの物資の
流通には利用されていたという。
杉野沢に向かうT字路に、「松川街道遊歩道」の標柱が立っていた。
周囲を豊富な緑に囲まれた早苗田の間を進み、観音川を渡る。
杉野沢の家並みの手前にあった遊歩道の標柱に従い、山すそに向
かう。本木さんご夫妻とワンちゃんは、ここで引き返す。
地図上は山すそを右折かと思われたが、標識は左へ。小さな橋を渡
って林間に入る。少し先に杉野沢一里塚があった。
中山道に残る一里塚に比べて小ぶりだが、はっきりと塚は残ってい
る。近くの杉木立の下には、ひっそりと釈迦堂が立つていた。
やわらかな新緑の彩りを見せるナラなどの林間を、緩やかなアップダ
ウンが続く。林の下には、色鮮やかなレンゲツツジが、あちこちに咲い
ていた。
赤松林などもあるが、多くは広葉樹林。秋の紅葉の鮮やかな彩りが
想像され、再訪したいところだ。下草にはササが増え、その一角にチゴ
ユリが白い花を見せていた。
ちょっとだけ開けたところから、東方間近に凸型の山が望まれる。
林間の三差路に、「右ハのぎはみち 左ハかんのんぬま」と読める、古
い石の道しるべが立っていた。
3㎞近く進み、車道が横断しているところに出た。直進する新しい道が
車道の壁面上に延びている。観音沼への新しい道が出来たものと考え、
その道を上がる。
左側が開かれ、先ほどの凸型の山や、やや南方の鋭いピークなどが
望見できる。
しかし道は、水道か農業用水の水源らしい湿地のところで途切れた。
その先は、林間をかき分けて上がると再び遊歩道らしい道に出た。先
に進んだが方向が違うようなので引き返し、車道に戻る。
地図上では、少し右手から上がるようだ。回ってみたらやはり遊歩道
の標柱があり、観音沼までは1㎞と記されている。車道のところに、こ
ちらへの道標が欲しい。
最初はけっこう傾斜があるが、ひとしきりで平坦となり、古い石仏の立
つところで右手から上がって来た県道に出た。
県道では、切りだした太い杉丸太を大型トラックに積み込み中。県道
を左手に少し、背の高い松の下が観音沼に向かう遊歩道。車で来た人
たちも何組か見られる。
観音沼の西端はすぐ先、湿地にレンゲツツジやキレンゲツツジが咲き、
やわらかな淡緑の若葉の彩りが、沼一帯を包んでいる。
沼を少しだけ眺め、のどを潤して帰路につく。帰りは両側に白樺の帯
が続く県道を、ピッチを上げて下って行った。
3㎞ほど下った森の中に、「天翔そば」という手打ちそばの店がある。
事前にやまさんが予約してあったので昼食に入り、「もりの中のそば」
(800円)というを注文する。
コシの強い十一(といち)そばに、大根おろしと、きのこがついている。
会津らしい味わいで、おいしかった。
同じ場所の天翔窯で焼いた器や、部屋の雰囲気なども、静かな森の
店にふさわしいものだった。
少し先で、建物の壁面やタンクなどに、ペンキで奇妙な絵が描かれて
いるのが目につく。入口には「ミニモアイ美術館」の表示が立っていた。
レンゲツツジの咲く近くの十文字交差点を右折、緩やかに台地に上が
って畑の間を抜ける。林間を下って杉野沢集落を抜け、松川街道遊歩
道入口で往路に合した。
あとは往路を木令から宮内を経て戻り、13時12分に大松川分校跡
に帰った。
予定より早く戻れたので、1時間速い電車に乗ることにする。木元さん
に駅まで車で送っていただき、会津下郷駅13時46分発会津田島行き
で、帰途についた。
(天気 曇、距離 16㎞、地図(1/2.5万) 甲子山、歩行地 福島県下郷
町)
南会津、下郷町大松川の旧大松川分校に泊まった翌日、全員で南
方の山間にある、観音沼まで往復することにした。
不要な荷物は置いて軽装になり、記念撮影をして7時半過ぎ、分校
跡を出発した。
旧道沿いの宮内に入り、次の原集落に向かう。田んぼの向こうの斜
面に、広葉樹の大木が見える。
周辺の棚田は、田植え後間もなく、木々や民家などの影を映す。
レンゲツツジ咲く原集落から続く木令集落に入り、旧道と新国道と
の合流点付近の斜面下にある不動尊に寄る。
寄せ棟造り、落ち着いたたたたずまいのお堂。すぐ横の斜面には、
「不動桂(ふどうかつら)」と呼ぶカツラの大木が繁り、根元に石仏が祭
られている。
背後の斜面から、まろやかなや味わいの名水が流れ落ちていた。
国道そばの広場では、「お不動さま直売所」と記されたテントを張り、
地元農家の方が、農産物直売所の準備を進めていた。
そばの案内板には、これから進む道筋である松川街道の、ルートや
歴史などが記されている。
それによれば、下野(しもつけ)街道が地震により通行不能になった
ため、元禄8年(1695)に開削されたが、本街道としての役割は9年
足らずとか。しかし、脇街道になった後も米や葉タバコなどの物資の
流通には利用されていたという。
杉野沢に向かうT字路に、「松川街道遊歩道」の標柱が立っていた。
周囲を豊富な緑に囲まれた早苗田の間を進み、観音川を渡る。
杉野沢の家並みの手前にあった遊歩道の標柱に従い、山すそに向
かう。本木さんご夫妻とワンちゃんは、ここで引き返す。
地図上は山すそを右折かと思われたが、標識は左へ。小さな橋を渡
って林間に入る。少し先に杉野沢一里塚があった。
中山道に残る一里塚に比べて小ぶりだが、はっきりと塚は残ってい
る。近くの杉木立の下には、ひっそりと釈迦堂が立つていた。
やわらかな新緑の彩りを見せるナラなどの林間を、緩やかなアップダ
ウンが続く。林の下には、色鮮やかなレンゲツツジが、あちこちに咲い
ていた。
赤松林などもあるが、多くは広葉樹林。秋の紅葉の鮮やかな彩りが
想像され、再訪したいところだ。下草にはササが増え、その一角にチゴ
ユリが白い花を見せていた。
ちょっとだけ開けたところから、東方間近に凸型の山が望まれる。
林間の三差路に、「右ハのぎはみち 左ハかんのんぬま」と読める、古
い石の道しるべが立っていた。
3㎞近く進み、車道が横断しているところに出た。直進する新しい道が
車道の壁面上に延びている。観音沼への新しい道が出来たものと考え、
その道を上がる。
左側が開かれ、先ほどの凸型の山や、やや南方の鋭いピークなどが
望見できる。
しかし道は、水道か農業用水の水源らしい湿地のところで途切れた。
その先は、林間をかき分けて上がると再び遊歩道らしい道に出た。先
に進んだが方向が違うようなので引き返し、車道に戻る。
地図上では、少し右手から上がるようだ。回ってみたらやはり遊歩道
の標柱があり、観音沼までは1㎞と記されている。車道のところに、こ
ちらへの道標が欲しい。
最初はけっこう傾斜があるが、ひとしきりで平坦となり、古い石仏の立
つところで右手から上がって来た県道に出た。
県道では、切りだした太い杉丸太を大型トラックに積み込み中。県道
を左手に少し、背の高い松の下が観音沼に向かう遊歩道。車で来た人
たちも何組か見られる。
観音沼の西端はすぐ先、湿地にレンゲツツジやキレンゲツツジが咲き、
やわらかな淡緑の若葉の彩りが、沼一帯を包んでいる。
沼を少しだけ眺め、のどを潤して帰路につく。帰りは両側に白樺の帯
が続く県道を、ピッチを上げて下って行った。
3㎞ほど下った森の中に、「天翔そば」という手打ちそばの店がある。
事前にやまさんが予約してあったので昼食に入り、「もりの中のそば」
(800円)というを注文する。
コシの強い十一(といち)そばに、大根おろしと、きのこがついている。
会津らしい味わいで、おいしかった。
同じ場所の天翔窯で焼いた器や、部屋の雰囲気なども、静かな森の
店にふさわしいものだった。
少し先で、建物の壁面やタンクなどに、ペンキで奇妙な絵が描かれて
いるのが目につく。入口には「ミニモアイ美術館」の表示が立っていた。
レンゲツツジの咲く近くの十文字交差点を右折、緩やかに台地に上が
って畑の間を抜ける。林間を下って杉野沢集落を抜け、松川街道遊歩
道入口で往路に合した。
あとは往路を木令から宮内を経て戻り、13時12分に大松川分校跡
に帰った。
予定より早く戻れたので、1時間速い電車に乗ることにする。木元さん
に駅まで車で送っていただき、会津下郷駅13時46分発会津田島行き
で、帰途についた。
(天気 曇、距離 16㎞、地図(1/2.5万) 甲子山、歩行地 福島県下郷
町)
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