2014年2月11日(祝・火)
21年目の記念日となる、埼玉県を中心のカントリーウオークグループの第210回例
会が開催された。集合は東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の北越谷駅。組み分けして
4組に分かれ、10時12分にスタートした。
== 元荒川左岸から右岸沿いに上流へ ==
線路の西側に平行する道路を、北越谷五丁目まで進む。薄寒い陽気だが、駅近くの花屋
さんには華やかなスイートピーが咲いていた。
県道325号との交差点を渡り、元荒川左岸沿いに出た。
堤防には3日前の8日(土)に降った雪が残り、青空も見えず寒々としていて、下の草
原にはカルガモが見える。上流に向かい、北越谷第五公園から宮内庁埼玉鴨場沿いに進む。
鴨場の元荒川堤防側は竹林が続いていて中は見えず、堤防際にはクヌギの古木が何本も
目についた。
鴨場の北側は越谷梅園だが、ほとんどの木はまだ開花せず、2、3本の紅梅だけが花を
見せていた。
国道4号の元荒川橋を渡り、左岸沿いの車道に回る。
400mほど先に、車の通れぬ〆切橋(しめきりばし)がある。
明治の地図では越谷梅林の北からこの橋の北側にかけて、元荒川が東北に向かってU字
状に大きく蛇行していたが、その後流れを直線化して蛇行部分を占め切ったのが橋の名の
由来という。
両岸河川敷には、無許可で耕作していると思われる畑が続いている。
次の大砂橋の手前にある神社に寄ってみる。砂原久伊豆(すなはらひさいず)神社で、
創建は室町幕府が滅亡した天正元年(1573)とのこと。
社殿前に、幹が空洞になったご神木のマキの古木が立っていた。
県道48号が近づく前原集落付近の堤防に、地蔵など双体の石仏が並んでいる。
流れが右にカーブし、さらに緩やかに左カーブした三ノ宮橋の手前で堤防を離れ、南側
の畑の中を回って野島集落に入り、浄山寺に行く。
慈覚大師が貞観2年(860)に創建した寺で、本尊は自ら彫刻したと伝えられる延命
地蔵。徳川家康が関東入城の時に、寺領三石を賜ったという。
本堂には、天保12年(1841)に奉納された直径176㎝、重量750㎏という、
全国でもまれに見る大きな鰐口(わにぐち)が下がっていた。
本堂と、本堂前に立つ六地蔵に参拝し、西側から寺を出る。
西に400mほど進み、仁王門の横に紅梅の咲く金剛院へ。
寛正年間(1460~6)に岩槻から移り、徳川家康から寺領十石を賜り、仁王門は元
禄10年(1697)に桂昌院の寄進と伝えられ、門の左右に立つ金剛力士像は江戸前期
の作と推定されるという。
山門を入り、ツバキの並ぶ参道を進んで本堂に参拝する。
境内の植栽はよく手入れされ、鐘楼もりっぱ。本堂前では、古い六地蔵が迎えてくれた。
県道48号に合した永代橋の南側に、「末田須賀堰の御定杭(すえたすがぜきのおてい
ぐい)」と呼ばれる、文字の刻まれた標石が立っていた。
昔、ここには竹で編んだ堰があり農業用水を取水していたが、堰の高さを巡る争いが上
下流で続き、寛延3年(1750)に話し合いがまとまり、堰も丈夫な石堰に改築された
という。その時に堰の高さを決めた石の杭がこの定杭。
「この杭の頭から石堤上端まで八尺五寸下」と刻まれ、現在は永代橋上流に接した、新
しい末田須賀堰が設けられている。
永代橋を渡って左岸に回る。橋際に、平成6年(1994)建立の「末田須賀堰竣工記
念碑」がある。その先が、昼食地の「つきのきの広場」。12時38分に着いた。
東屋(あずまや)があるが風通しがよくて寒いので、風の弱そうな盛り土や植栽の蔭に
移動して昼食をする。
== 木力館から武蔵第六天神社へ ==
13時25分に、午後のコースに向けてスタートする。北側の県道325号に入るとす
ぐ先に、「木力館(きりょくかん)」と呼ぶ木造六角形の建物がある。
広く木の文化を知ってもらおうと、材木業・大忠の創業者、大槻忠男さんが造った木の
博物館。入館を前に入口で今日の例会の記念撮影をする。
中に入ると、天井までむき出しの館内はすべて木で出来ていて、心の安らぎと暖かみが
感じられる。
2階に上がり、木の小片が二つ配られ、館長の大槻さんから木の家の素晴らしさについ
てのお話を伺う。
昭和30年代(1955~)の日本家屋のこと、木材は湿気を吸収してくれること、杉
やヒノキは湿度が低い北海道では育たぬこと、50年前と材木の値段は変わらぬこと、日
本国土の70%が森林で、環境を守る空気と水の源であること、風土に合った木を住宅に
使えば長持ちすることなど、日本の材木の素晴らしさや木の家の良さなどについて話され
た。いただいたヒノキ板を濡れ布でこすると、芳香のすることも実感する。
館内にはヒノキ風呂を初め、木のテーブル、木製の三重塔模型、木彫りの彫刻、木の幹
の植木鉢、木材の見本板など、木の良さを感じさせる作品や材料などがたくさん並んでい
た。
大槻さんは、県内の月刊ミニコミ情報誌「武州路」にも「木のはなし」を連載されてい
て、2月号で79回に及んでいる。
お話と館内の観覧でおよそ1時間ほど滞在し、最後に新しい木の塀の見本も見せてもら
い、御礼申し上げて木力館を後にした。
ちなみに、木力館のウェブサイトはこちら。
次の変則五差路に立つ「武蔵第六天神社参道」の標識に従い、元荒川側の路地に入る。
「名物まんじゅう」と「天狗羊羹」の看板の出た小さい店があり、羊羹は名物とのこと。
「手造りくず菓子」とともに何人かが買い求めた。
近くには川魚料理を味わえる店もあり、古くからこの参道が賑わっていたことがうかが
える。
武蔵第六天神社は、荒川左岸の高台にあり、天明2年(1782)の創建。江戸時代か
ら火難、盗難除け、家内安全の神社として知られ、天狗の絵馬は、境内にあった杉の古木
に天狗が住み、厄除けをしたと伝えられているという。
神社の右手背後から元荒川左岸河川敷に下り、流れに泳ぐカモやカワウなどを眺めなが
ら進む。
現在は歩ける河川敷も、多水期には流れに覆われるという。
堤防に上がり、田のあぜ道を少し迂回して、赤いアーチの水道橋に付けられた歩道を渡
って右岸に回る。
橋の下流側川原には、キタミソウが自生しているとか。探してみたが、見つからなかった。
西側を走る県道48号にある今日のゴール、下飯塚バス停に15時26分に着いた。9
分後に来た朝日バスで、東武野田線の岩槻駅に向かう。
予報通りに太陽が出ず最高気温は5℃前後、ちょっと寒いカントリーウオークだった。
(参加 16人、天気 曇、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 越谷、岩槻、歩行地
越谷市、さいたま市岩槻区、歩数 計測不良)
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21年目の記念日となる、埼玉県を中心のカントリーウオークグループの第210回例
会が開催された。集合は東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の北越谷駅。組み分けして
4組に分かれ、10時12分にスタートした。
== 元荒川左岸から右岸沿いに上流へ ==
線路の西側に平行する道路を、北越谷五丁目まで進む。薄寒い陽気だが、駅近くの花屋
さんには華やかなスイートピーが咲いていた。
県道325号との交差点を渡り、元荒川左岸沿いに出た。
堤防には3日前の8日(土)に降った雪が残り、青空も見えず寒々としていて、下の草
原にはカルガモが見える。上流に向かい、北越谷第五公園から宮内庁埼玉鴨場沿いに進む。
鴨場の元荒川堤防側は竹林が続いていて中は見えず、堤防際にはクヌギの古木が何本も
目についた。
鴨場の北側は越谷梅園だが、ほとんどの木はまだ開花せず、2、3本の紅梅だけが花を
見せていた。
国道4号の元荒川橋を渡り、左岸沿いの車道に回る。
400mほど先に、車の通れぬ〆切橋(しめきりばし)がある。
明治の地図では越谷梅林の北からこの橋の北側にかけて、元荒川が東北に向かってU字
状に大きく蛇行していたが、その後流れを直線化して蛇行部分を占め切ったのが橋の名の
由来という。
両岸河川敷には、無許可で耕作していると思われる畑が続いている。
次の大砂橋の手前にある神社に寄ってみる。砂原久伊豆(すなはらひさいず)神社で、
創建は室町幕府が滅亡した天正元年(1573)とのこと。
社殿前に、幹が空洞になったご神木のマキの古木が立っていた。
県道48号が近づく前原集落付近の堤防に、地蔵など双体の石仏が並んでいる。
流れが右にカーブし、さらに緩やかに左カーブした三ノ宮橋の手前で堤防を離れ、南側
の畑の中を回って野島集落に入り、浄山寺に行く。
慈覚大師が貞観2年(860)に創建した寺で、本尊は自ら彫刻したと伝えられる延命
地蔵。徳川家康が関東入城の時に、寺領三石を賜ったという。
本堂には、天保12年(1841)に奉納された直径176㎝、重量750㎏という、
全国でもまれに見る大きな鰐口(わにぐち)が下がっていた。
本堂と、本堂前に立つ六地蔵に参拝し、西側から寺を出る。
西に400mほど進み、仁王門の横に紅梅の咲く金剛院へ。
寛正年間(1460~6)に岩槻から移り、徳川家康から寺領十石を賜り、仁王門は元
禄10年(1697)に桂昌院の寄進と伝えられ、門の左右に立つ金剛力士像は江戸前期
の作と推定されるという。
山門を入り、ツバキの並ぶ参道を進んで本堂に参拝する。
境内の植栽はよく手入れされ、鐘楼もりっぱ。本堂前では、古い六地蔵が迎えてくれた。
県道48号に合した永代橋の南側に、「末田須賀堰の御定杭(すえたすがぜきのおてい
ぐい)」と呼ばれる、文字の刻まれた標石が立っていた。
昔、ここには竹で編んだ堰があり農業用水を取水していたが、堰の高さを巡る争いが上
下流で続き、寛延3年(1750)に話し合いがまとまり、堰も丈夫な石堰に改築された
という。その時に堰の高さを決めた石の杭がこの定杭。
「この杭の頭から石堤上端まで八尺五寸下」と刻まれ、現在は永代橋上流に接した、新
しい末田須賀堰が設けられている。
永代橋を渡って左岸に回る。橋際に、平成6年(1994)建立の「末田須賀堰竣工記
念碑」がある。その先が、昼食地の「つきのきの広場」。12時38分に着いた。
東屋(あずまや)があるが風通しがよくて寒いので、風の弱そうな盛り土や植栽の蔭に
移動して昼食をする。
== 木力館から武蔵第六天神社へ ==
13時25分に、午後のコースに向けてスタートする。北側の県道325号に入るとす
ぐ先に、「木力館(きりょくかん)」と呼ぶ木造六角形の建物がある。
広く木の文化を知ってもらおうと、材木業・大忠の創業者、大槻忠男さんが造った木の
博物館。入館を前に入口で今日の例会の記念撮影をする。
中に入ると、天井までむき出しの館内はすべて木で出来ていて、心の安らぎと暖かみが
感じられる。
2階に上がり、木の小片が二つ配られ、館長の大槻さんから木の家の素晴らしさについ
てのお話を伺う。
昭和30年代(1955~)の日本家屋のこと、木材は湿気を吸収してくれること、杉
やヒノキは湿度が低い北海道では育たぬこと、50年前と材木の値段は変わらぬこと、日
本国土の70%が森林で、環境を守る空気と水の源であること、風土に合った木を住宅に
使えば長持ちすることなど、日本の材木の素晴らしさや木の家の良さなどについて話され
た。いただいたヒノキ板を濡れ布でこすると、芳香のすることも実感する。
館内にはヒノキ風呂を初め、木のテーブル、木製の三重塔模型、木彫りの彫刻、木の幹
の植木鉢、木材の見本板など、木の良さを感じさせる作品や材料などがたくさん並んでい
た。
大槻さんは、県内の月刊ミニコミ情報誌「武州路」にも「木のはなし」を連載されてい
て、2月号で79回に及んでいる。
お話と館内の観覧でおよそ1時間ほど滞在し、最後に新しい木の塀の見本も見せてもら
い、御礼申し上げて木力館を後にした。
ちなみに、木力館のウェブサイトはこちら。
次の変則五差路に立つ「武蔵第六天神社参道」の標識に従い、元荒川側の路地に入る。
「名物まんじゅう」と「天狗羊羹」の看板の出た小さい店があり、羊羹は名物とのこと。
「手造りくず菓子」とともに何人かが買い求めた。
近くには川魚料理を味わえる店もあり、古くからこの参道が賑わっていたことがうかが
える。
武蔵第六天神社は、荒川左岸の高台にあり、天明2年(1782)の創建。江戸時代か
ら火難、盗難除け、家内安全の神社として知られ、天狗の絵馬は、境内にあった杉の古木
に天狗が住み、厄除けをしたと伝えられているという。
神社の右手背後から元荒川左岸河川敷に下り、流れに泳ぐカモやカワウなどを眺めなが
ら進む。
現在は歩ける河川敷も、多水期には流れに覆われるという。
堤防に上がり、田のあぜ道を少し迂回して、赤いアーチの水道橋に付けられた歩道を渡
って右岸に回る。
橋の下流側川原には、キタミソウが自生しているとか。探してみたが、見つからなかった。
西側を走る県道48号にある今日のゴール、下飯塚バス停に15時26分に着いた。9
分後に来た朝日バスで、東武野田線の岩槻駅に向かう。
予報通りに太陽が出ず最高気温は5℃前後、ちょっと寒いカントリーウオークだった。
(参加 16人、天気 曇、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 越谷、岩槻、歩行地
越谷市、さいたま市岩槻区、歩数 計測不良)
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