魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大ネズミ

2016年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

もう立秋。決まり文句の「暦の上ではもう秋です」。しかし、この暑さはどうだ。
夏至からもう50日、秋分までの方が近くなっている。にもかかわらず、今頃が一番暑い。何事も、実体が無くなった時、終わりの直前の方が華やかになる。ローソクの火は、消える前に輝き、燃え尽きる。

派手な行動を取る時は、実は実体が失われている。怖い時ほど犬は良く吠えるし、猫も毛を膨らませて大きく見せようとする。逆ギレするのは、逃げ場を失っているからだ。
毛を逆立てて唸っている猫には手を出さない方が良い。その内逃げ出す。

中国の逆ギレ攻撃は、それだけ中国が切羽詰まっていることを表している。一番大切なことは、暗に、落としどころ、逃げ道を提示してやることだ。あまり追い詰めると本当に飛びかかってくる。
今の中国の言動は、逃げ道を探す時間稼ぎだが、逃げ道とはメンツの立つ方法のことであり、メンツは国民に対する示しが付くことだから、これまでの主張を引っ込めるに値する大きな「成果」を見せれば良い。

例えば、日米がAIIBに参加して、一帯一路に参画するので、南シナ海も東シナ海も国際管理の大道になることで、中国が管轄する必要が無くなり、より大きな経済効果が出る。とか、玉虫色のストーリーを提供して、とりあえず共産党のメンツを立て、日米が加わることで、後にAIIBの実体を骨抜きにしてしまう様なことはできないだろうか。

対抗措置ばかり考えていると、窮鼠猫を噛む。それにしては大きな泥棒ネズミだが。


気づかぬ

2016年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム

30年ぐらい前から見えていたことだが、恐ろしい時代になったと思う。
世相の風潮の変化は、周期律などの理屈では簡単に解る。しかし、実際どの様にそれが変化していくのかは、現場で目の前の風景を見ていると却って気づかない。
それは、錯覚や錯視のゲームで、じっと見つめていて「ハイ、何が変化しましたか?」と言われても、大抵は気づかないことと同じだ。

日々起きる事件を、近頃おかしいなと思うことはあるが、その時は既に変化は終わっている。その前の、変化の兆候は、案外なんでもないところに転がっている。
今日の風潮を懸念したことの一つに、アニメでの集団規律や、先輩後輩の強調があった。終戦直後は、あらゆる規律、規範が取り除かれ、何を言おうと何をしようと自由だった。ことに戦後十年ぐらい、アメリカの息が掛かっていた頃は、学校でも自由にものを言うことが奨励され、何でも言ってみよう、何でもやってみようの時代だった。映画の社長シリーズや、無責任シリーズのようなノー天気な話しが喜ばれた。

その頃の日本人は、為せば成ると思っていたから、ドンドン海外に出て行き、多少の失敗は笑い話になった。
現在の日本は、ひたすら失敗を恐れ、金はもちろん、手も足も知恵も出ない。企業は内部留保をため込み二番煎じばかりを狙い、何かと言えば責任論に終始する。
役人は既得権を守ろうとし、がんじがらめの規制に、政治家も手を付けられない。

こうした、知恵の出ない風土では、何事も守りが優先され、「僕が守る」が格好良く聞こえ、打開策が出ないから、後退ばかりを繰り返し、じり貧になる。
そうして停滞すると、停滞の理由が他者になり、閉鎖的で排他的になる。そして、そうなっていることに自覚も無い。

経済の停滞による閉鎖性は、日本だけでもなく、世界で起こっていることであり、これが周期律だ。ここに、何かの切っ掛け、例えば異常気象による不作などが起こると、一気に争いになる。
天王星84年周期なら、今は昭和7年、1932年頃だ。


それなり

2016年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム

書くつもりではなかったが、やっぱり書くことにした。
正直、オリンピックにはあまり興味が無い。ことに、マスコミが盛り上げようとするほど拒否反応が起こる。普通に、中継だけしてくれれば、真っ白な気持ちで感動できるのかも知れないが、騒ぎたてられると、『騙されないぞ』という気持ちがわいてきて、せっかくの感動ドラマが汚れてしまう。

映画や小説、マンガに至るまで、騒がれているものから離れることにしている。そういう、ひねくれた性格だからしかたがない。どんな美味しいものでも、「美味いよ、美味いよ」と横で言われると、食べた気がしなくなる。良し悪しは人に言われて決めるものではなく、自分の実感で決めたいと思う方だ。

そういうことも多少はあって、サッカーのナイジェリア戦のことは書く気は無かった。しかし、予想通りの結果に、どうも、もやもやして書かずにはいられなくなった。
かねがね思うことだが、日本は「相手なり」「それなり」の試合をする。勝てるはずの相手に苦戦したり、凄い強豪に勝ったりする。今回も、ナイジェリアの悪条件に遠慮したとしか思えない。遠慮がちに様子を見ているうちに先制され、後半、急に本気を出したが後の祭りだった。

昔は、一点でも先制すると、守りに入るぐらい弱かったが、今は、負けていても、ロスタイムに逆転するぐらい実力を付けてきた。強豪国に対しても、気後れすることもなくなった。ところが案外、弱小国相手に一杯一杯の試合をしたり、時には負けたりする。
こんな日本チームを見ていると、サッカーファンとしては何なんだと思うが、占い的に言えば当然だ。

天秤座の日本は、常にバランスを保とうとする。相手の立場に立って考える癖があるから、外交でも弱者の立場で交渉されると引いてしまうし、居丈高に圧力を掛けられると勝ち目がなくても引かない。清、露、米に対し引かなかったのは、軍国主義だけでもなく、相手が高圧的だったからだ。バランスの天秤座には上下意識がない。
ちなみに、中国が引かないのは、バランス意識ではなく、上下意識によるメンツだ。

ナイジェリア戦、仮に勝っても、日本人としては後味が悪かっただろう。それでも引き分ならバランスがとれたはず。勝ったナイジェリアは世界に賞賛されている。
日本は負けたものの、そう嫌な負け方でもなかった。ダメージは少ないだろうが、残りも強敵揃いだ。でも、ナイジェリアのように気の毒な相手ではない。全力勝負できるだろう。


スポーツ

2016年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム

サッカー、オリンピック初戦の相手は、優勝経験もあり、アフリカ予選でも1位の強敵ナイジェリアだが、資金難で、チャーター便の手配に手間取り、間に合うのか危ぶまれていたが、どうにか試合前ギリギリに到着することになったそうだ。

場合によっては、試合に間に合わず、日本の不戦勝の可能性まで出ていた。
この事態を、どういうワケか韓国の新聞は「ナイジェリアが『不戦敗』の可能性も」と、記事にした。

韓国は何を考えて、どこの視点から、突然、こんな記事を書いたのか知らない。
しかし、日本人の誰も、そんな勝ち方を喜ばないだろう。日本人のオリンピック好きは、金メダルが目的ではない。スポーツ神話のような、清々しさを求めているのだ。
勝ち負けよりも、良い試合を観て、「参加することに意義がある」ことを確かめたいと思っている。
もちろん、日本の選手に勝ってくれと応援をしてはいるが、勝ち負けより、頑張っている姿に感動したい。勝利はその方向性としての意味しかない。

例え勝ったとしても、相手が弱っていたから勝てたのだと言われても嬉しくない。互いに精一杯戦ってこそ意味がある。
ドーピングや賄賂など、どんなことをしてでも、勝ちさえすれば良いのだと、金メダルの数を自慢する人達には、全く理解できないかも知れないが、日本人は未だに「オリンピック精神」を信じている。だから、ワールドカップより人気が高い。

ナイジェリアの遅れについて取材に応えた関係者が、「万全だ、問題ない」と答えていたそうだが、少なくとも、誰かが捻挫したとか練習できないだとか、始めから予防線を張るような卑怯さがない。良い試合ができることを祈りたい。


防衛防御

2016年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

北朝鮮のノドンが日本のEEZ内に落下して、大騒ぎになっている。
中国も北朝鮮も、日本に再武装させたいのではないかと思えるほど、タイミング良く挑発してくる。日本は右傾化し、再武装は時間の問題になっている。

北朝鮮は、中ロの威を借りて生存活動をしているだけだろうが、ここまで日本を追い込んでくる中国は、よほどバカなのか、それとも、日本に武器を持たせて前世紀の仇を討ちたいと考えているのだろうか。
いずれにしても、賢明とは言い難い。

何が何でも戦争は避けなければならないと思っている人間でも、単純に、戦争反対とだけ言っていられない状況であることは明白だ。
また、仮に日本が再武装するようなことになれば、通常兵器をいくら持っても、狂人を相手にした場合は無意味だ。再武装するなら、核と抱き合わせでなければ意味が無い。
だから核が必要だと言いたいのではない。その逆だ。

核の威力は誰でも知っている。だからこそ、中ロはそれを打ち落とせる防衛システムのTHAADやPAC-3を配備されることを嫌がる。中国は対抗措置として、ミサイル誘導を可能にする衛星を破壊して見せた。
無論、どちらの見方をするわけではないが、発想は中国の方が上だ。机上の矛盾論議を机ごとひっくり返して見せたのだ。

アメリカ式の迎撃システムは、ゲームとしては面白いが、現実性に欠ける。数百発のミサイルを同時発射した場合、それを全て撃墜することはできない。アメリカの商売に付き合うことで、同盟関係が緊密になるぐらいの効果しかないだろう。

日本は、専守防衛を標榜している。その日本が武装するなら、まさにこの分野だ。
アメリカ式の一発必中の発想を捨てて、根本的にミサイルを無力化する兵器を研究すべきだろう。要するにSFにあるバリアのようなシステムだ。

アメリカは矛を矛で防御することばかり考えている。日本の特攻機に困ったアメリカは銃弾の幕を張ることで特攻機を防いだ。追い詰められれば現実的な案が出てくる例だが、そのアメリカが、旧日本軍のような一撃必殺の発想をしている。

矛は盾で防ぐものだが、イージス艦と言っても、結局は目標を叩くことを目的にしている。そうではなくて、不能にする発想から入るべきだ。
例えば電波妨害のように、能力を奪うことだが、もっと発展すれば、相手の制御システムを瞬時に読み取り、発射地点に反転させるようなシステムだ。これは電波だから、物理的経費はさほど掛からない。ひたすら知恵の問題だ。そのうえ、何千発飛んで来ようと、一瞬で対応できる。あるいは、日本の領空に何らかの電波を張り巡らし、許可を得たものしか侵入できないシステムも、民間機と共存できるかもしれない。
とにかく、専門家にかかればどうにかなりそうに思えるのだが、何より、重要なことは、発想の転換だ。

こうした兵器を開発すれば、日本は核大国に遠慮をしながら生きていく必要がなくなるし、再武装する必要もなくなる。しかも、防御システムをいくら開発しても、専守防衛の国なら、相手から核の脅威が高まると言われることもない。


買い被り

2016年08月01日 | 日記・エッセイ・コラム

どこの中学や高校でもマドンナというのか、注目される美女がいる。
そういう人から、話しを聞くと、ほとんどの人が、まんざらではないものの、嫌がっていた。
周囲が勝手に盛り上がっていながら、勝手に「いい気になっている」と思われていたり、同性から恨まれたりする。ある人は、熱心に誘われてデートしたら、「イメージと違う、こんな人だとは思わなかった」と言われて、かんかんになって怒っていた。

自分から、タレントやアイドルに志願したわけでもないのに、周囲が勝手に騒ぎ、挙げ句の果てには誹謗中傷する。「ウンザリだ」というのが本音らしい。
雉も鳴かずば撃たれまいに、と言うが、鳴いてもいないのに撃たれたのでは、いい災難だ。
美人はそれだけで狙われるが、美人でなくても、女はそれだけで狙われるから、世の中は大抵、勘違いしている。

勘違いかどうかは別にして、過大評価されるのは、決して喜ぶべきことではない。
むしろ過小評価されていたり、悪く思われている方が、実際に会ったら「意外!」と、ギャップで得することが多い。

正しい説明
このところの、中国旅行者の日本評価は、何でもかんでも凄い凄いとベタ褒めで、うんざりする。これまで反日で日本を最低評価してきたから、「意外!」と、ギャップに過剰反応しているのだろうが、中国の報道もこぞって祭り上げている。
二者択一の中国人らしく、極端から極端に走る。

日本人も、日本が一番、ジャパンクールと、下らないことまで取り上げて自惚れている。例え優れたところがあったとしても、「日本最高!」などと言っている番組は、恥ずかしくて観ていられない。何でもかんでも元祖宣言をする国と、目くそ鼻くそだ。

外から褒めてくれるのは有り難いが、極端な持ち上げは反動が怖い。少なくとも、自惚れの手前味噌は止めた方がいいが、いっそのこと、「日本も他の国と同じです。良い人も悪い人もいれば、良いところも悪いところもあります」と、宣伝してはどうだろう。
何も卑下するのではなく、相手が興味を持ってくれているうちに、良し悪しではなく、簡潔に正しい説明をした方が得策だ。

「ニッポン凄い」ではなく、「本当のニッポン」の番組の方が、日本人にも勉強になる。
外国人に日本の良い印象を聞くのではなく、良いところ悪いところ不思議なところを聞いて、それは実はこういうことなのですという、謎解き番組にした方が面白い。
例えば基本的な、「フジヤマ、ゲイシャ」は何から始まったのか、そして今はどうか。
日本の伝統と言われるものは、どこから伝わり、いかにして伝統になったのか。
こういうことは、ルーツ論を正しく検証した上で、日本で別のものに磨き上げられた過程を丹念に紹介することで、ルーツ論を超えることができる。
あくまで、外国人に説明することが前提だが、くれぐれも、芸人にバカげた解説をさせて、笑い話にするのだけは止めて欲しい。