魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

発掘記事

2012年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム

昨年、同じ時期に書いて、上げなかった記事が残っていた。
日本が大震災で喘ぐ最中に、周辺国が日本に揺さぶりをかけてきたことで、日本中が怒り、動揺していた時に書いた。

自分も、冷静ではないかも知れないと思い、少し躊躇して上げなかったが、一年経って読み返してみても、状況も気持ちもほとんど変わっていないので、「もう、いいかな」と、そのまま上げることにした。
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<本気なら> 2011/4/7
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昔から、何か言って、まともに相手にされたことがない。
大抵「アホか」という顔をされる。
しかし、いずれも2~30年後には現実になった。N.Y.が文化の中心になる。農業が見直される。電話が主要産業になる・・・等々。
当時、世の中にそんな気配はなかったから、相手にされなかった。

だから、どう思われても良いのだが・・・
「百年を見据えた外交を考えるなら、領土問題を前面に出すことは、得策だとは思わない。」

中露ともに核を持ち、半島は南北とも核武装をしたがっている。
こんな連中を相手に、満員電車で「どっちが足を踏んだ」と言って関われば、怪我をせずに済む話ではない。

「怪我を恐れるか、腰抜け」と言われるかも知れないが、拳銃やナイフを持った連中に、素手で「正義」は貫けない。
だから、ここで「お前が足を踏んだ」と言うことは、直ちに銃を持つ覚悟を意味する。

現実問題、アメリカは「領土問題は知らん」と言っているわけだし、
「正義」を貫こうと思うなら、最低限、次の駅で飛び出したら、公安官が待機しているぐらいの保証がなければ、声は出せない。
と言うことは、憲法改正をして核武装をし、NATOに加盟するぐらいのことはしておかなければ「正義」は主張できない。

しかし、NATOだって、領土問題には関わらない。
領土主張は、まるで「昭和残侠伝」だ。何の生産性もない古き「散華の美学」であって、現実外交やビジネスとは、真反対の生き方だ。

狭い地球はサッカー場
武士は、商人を最も賤しい存在と見たが、鎖国体制の閉ざされた世界では、結局、商人が一番力を持った。
狭くなる地球は閉ざされた世界だ。武力は飾り物になり、流通が本体になる。

300年の産業革命パラダイムが終わろうとしている。すでにグローバル化していることは、リーマンショックでも、今回の災害でもはっきりした。今後、グローバル化はさらに形を変えて進展するだろう。
産革パラダイムの屋台骨である、国家概念や軍事力は無意味になり、商売の地歩を固めた者がその地を事実上支配する。

平和憲法の最大短所は逆説的に言えば、軍事力(武力解決)を持たないことだ。
つまり、「チクショウ、軍事力さえあればこんな事にはならないのに」と思う、コンプレックスに囚われて、負けて勝つ、損して得取る事に頭が回らなくなる。(格闘技の有段者は喧嘩を避ける)

「足を踏んだのは向こうだ」と、下を見て繰り返しつぶやきながら、喧嘩ばかり考え、最後の勝者になることを忘れてしまう。

子供の頃、ソ連や南鮮に、日本船が銃撃を受け、多くの漁民が殺され拿捕された悔しさは、父の怒りの形相とともに鮮明に覚えている。
中国の主張や行状の不条理も腹に据えかねる。

しかし、「本気で勝つ」気なら、黙って相手の裏に回るのが、賢明というものではあるまいか。筋道論では、勝者になれない。

中露韓とも、既にこちらの裏に回ろうとしている時に、
日本は外交サッカーで、「領土ウオッチャー」になっている。