魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

\1000/

2010年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

No.1000

今日は送り火
♪千のカ~ゼに・・・

ついに1000本達成。足かけ5年。丸4年。
干支12年の1/3で、戌年から三合の寅年に巡ってきた。
石の上にも三年と言うから、既にスタイルができたような気もする。

大学で言えば卒業。何を修めたと言うこともないが、一区切り付けるには良い時かも知れない。
パクパクしながら、発見したことや、考えを改めたこともあった。
自問自答しながら、書いていたので、混乱しないように、コメントの受付はアドレス付きの人だけにした。

まだ、書きたいことは困るほど有るが、何とかの考え・・・と言うから、このあたりが潮時だ。

この後は、気が向いた時に、総集編として、テーマ事にピックアップしたり、反省や、気づいたところに訂正を入れたりしたい。
思いついたら、更新するかも知れないが、考えれば、残された時間も少ない。やるべきことが多くある。

とは言え、年寄りは、やり残した事が多いと思うから、せっかちで、
何時も「忙しい、忙しい」と言っているが、何もはかどっていない。
だから、そうならないように、逆に、何もしないことに決めて、時に応じて、出来ることだけやればいいと思っている。

更新目標1000を達成したら、気が抜けてコロッと逝くかも

読んで頂いた方へ
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長らく有り難うございました。
一応、ここで更新を休みます。今後のコメントはオープンにして、自由に書き込んで頂ければ幸いです。振り返ると、間違いや思い込み、言い足りないことも多いので、お叱りもあるでしょうが、それも有り難いです。
(なお、コメントは自動アップします。表示したくない人は、プロフィール欄からメールでください。基本的にはお返事出来ません)


沈黙は金

2010年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

No.999

占いは、理論と直感が一体化しなければできない。
理論から漠然と、予想することができても、焦点を合わせるためには、占う対象(人や事物)の持つ気配も必要だ。
逆に言えば、理論より、現実の気配こそがすべてを語っている。
理論の方が脇役だ。(観天望気

電話やメール、手紙での占いは、やってやれないことはないが、相当おぼつかない。したがって非常に疲れる。直接会ったり、現場に行くと理論や知識を超えた情報がある。

現実の人や物に接すると、目には見えず無自覚でも、実際は様々なものが存在している。温度、臭い、人なら人相、場所なら風など、まだ、科学的にも把握できないようなものまで漂っている。
最近、人の電界の科学利用が進んでいるそうだが、電界なども、見た目では認識できなくても、確実に何らかの影響があるだろう。

そのように、人と直接会うということは、ハッキリとは自覚できなくても、相手を理解する上で、とても重要なことだ。

近頃、世の中は、電話やメールによって、直接の接触を避けて暮らすことが多くなった。自動販売機や食券を利用すれば、一日中、誰とも口を利かずに過ごすことさえできる。これをみな気楽だと思って選んでいるが、無自覚のうちに相当なストレスになっている。

犯罪や自殺の増加は、社会の中で、人間に接触を持たないストレスが一因ではあるまいか。犯罪や自殺は、人の絆が断たれた時、糸の切れた凧のように、生きる規範や支えを失うからだ。

しかし、一方で
直接会うことによって、相手の勢いや粘りに負けて、判断が狂うこともある。鑑定で、失敗するのは、依頼者の希望に添おうとした時だ。
当事者の思惑の側に立ってしまうと、客観性を失う。

人との付き合いも、仕事の現場も、歴史の渦中も、後で考えれば、理解できないような行動を取るのが人間だ。
エネルギーがぶつかり合う中では、誰も冷静ではいられない。

立場の違う者が、合意するためにはルールが必要だ。
法律はその為にあるが、法律がない時代は、力とごまかしが自然の掟だった。
ごまかしと言えば変だが、相手を喜ばせたり、スキを見てかすめ取ったりすることだ。動物の行動を見ているとよく解る。

我欲むき出しのルール無き世界に生きてきたような人は、情熱的好印象や強引な自己主張のパワーを持っている。こういう人にとっては、ルールや法律さえも、逆手に取って利用する武器にしかならない。

幾ら理を解いても、初めから聞く耳を持たない人に、客観的な話をしようとしても、何としても、自分の望む結論を認めさせようとする。
こういう人には、初めから話をしないことが賢明だ。
占いだけでもない、「人を見て法を説け」「沈黙は金なり」とはよく言ったものだ。昔の人は偉い。