魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

春うらら

2012年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

つくし、さくら、こでまり・・・春が、あっという間にやってきた。

今年の春は少し遅かった。ツバメがやってきたのも4月6日。
これまで一番早かった3月23日より、半月も遅い。しかも、その後の寒さで、翌日からそれっきり来なくなった。今日もまだいない。

若い頃は春が嫌いだった。何が嫌いというわけでもなかったが、世の中が、春だ春だと浮かれるのが腹立たしかった。
春が来たからと言って何も変わらない。また学校に行かなければならない。友達とは、遊びに行けば会える・・・新学期なんか要らない

ところが、老いて冬の寒さを覚えるようになってからは、春が待ち遠しくなった。四十を過ぎた頃から、山川草木がありがたくなった。
なんでも素直に、カワイイ、きれいだ、と思えるようになった。
よろよろと生きながら、生かされていることを実感するようになった。

人間は、五十までの上り坂は、体力が気力を養っているが、下り坂に入ると、体力は気力と分離して、どんどん下に転がり始め、かろうじて、気力が体力を引き上げている。
「お前は既に死んでいる」と言われたら、そうかも知れない。
気を緩めたとたん、体力、気力もろともに、奈落の底に落ち込んでしまう。それが終わりだ。

年々、幽体離脱が進み、生きながらにして、浮遊していく感覚がある。さながら、千の風の仲間になって、木立を通り、草原を渡るようで、「ああ、自然は何と美しいのだろう」と、喜びが広がる。

視力が衰え、耳は遠くなり、だんだん世の有様に腹も立たなくなり、
「これでいいのだ・・・バガボンボン」

霞たなびき
山が萌え、霞に包まれた春の陽気の中で、ニュースが遠くの喧噪のように聞こえてくる。近づいて聞けば、腹も立ち、興奮もするかも知れないが、バカげた騒ぎは今に始まったことではない。

今年に入って下がり始めた円が、また上がり始め、株は下がり始めた。株の曲線を見ていると、日本をめぐる星のバロメーターだ。好調は一筋縄ではいかない。桜が咲けば花冷えがある。

北のロケット騒ぎは、アメリカのトラップではなかろうか。
あれだけやられながら、またも北に騙されるようなアメリカだろうか。ネズミだって学習する。ミッキーの方がドブネズミより賢いはずだ。

平和の使者ハトは、相当頭が悪い。以前、餌に群がる鳩の群れの後ろから、じっと見ていた嘴太カラスが、そうっと近づくと、一気に首をへし折って食べてしまう映像があった。可愛がられることだけでいい気になって餌に群がるハトは、脳のサイズが小さいのだそうだ。

ダルビッシュには、やっぱり外国の血がある。外国人は日本人より興奮症だ。外人の助っ人選手にもよくあるが、ここ一番の気負いがあると変になる。WBCの時に、韓国戦で何故か変調をきたしたことがあったので、心配していたら案の定だった。この先はガンバって欲しい。

ソニーが青息吐息だ。
ソニーの衰退はフラットテレビから始まっていた。大企業を目標にして就職した優等生社員が、中堅になった頃から運命は決まっていた。過去の巨艦巨砲主義に陥った戦艦ヤマトの最後は哀れだった。ウオークマンに関わった一員だと、役員が英雄のようにテレビに出てきた時に、「終わった」と思った。

その前後から、当たり前のようにユーザー情報を要求しだした。
そして、多くの日本企業がそれに追随した。このメンタリティーが、おかしいと思えない企業は、衰退しかない。

一太郎が一気に広がったのは、コピーフリーにしたからだったが、今、ジャストシステムは執拗にユーザー登録を要求する。
ユーザー登録の要求は不遜であり、「攻め」の放棄だが、日本中の企業が麻痺してしまっている