魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

運命波

2008年03月23日 | 世相史観

21日、中国では西部でM7.3の地震があった。弱り目に祟り目だ。

人間界の事件と、天変地異は連動することが多い。
多少なりとも科学的に考えれば、地震エネルギーがたまっている時には、磁気のような未知のエネルギーが人間の思考・感情に影響するのかも知れない。台風にしても、人間はわずかな気象変化で精神に影響を受ける。

昔、日航機の「逆噴射」事件があった時、最初は、満月による自然現象が事故を引き起こしたのだと思ったが、実際は、機長の狂気の逆噴射だった。(1982/2/9)
自然は災害を引き起こすが、事件は自然に影響された人間によって引き起こされる。

今回のチベット暴動も、目に見えない自然の影響が、溜まった怒りの引き金になったのかも知れない。
しかし、怒りの火薬がなければ爆発はしないから、地震のたびに必ず暴動が起きるわけではない。(株の暴落や事故は多々起こるが)

科学的には、自然と人間の関連かも知れないが、占いではどちらも、運命波の問題だ。
自然が人間に影響して生まれる歴史と、人間が自然破壊して新たな自然現象を作り出していくことは同じ運命現象だ。
運命の波は、粛々と押し寄せ、引いていく。

気候変動や人類の歴史も、大きな運命の周期律に従っている。
満月に影響を受けてか、今日23日も、茨城で無差別殺人があった。
不可解な事件も、社会背景の飽和に引き金が引かれたに過ぎない。

「誰でも良いから殺したかった」・・またかと言うほど聞かされる。
世界に蔓延する「命の喪失」。他人の命も自分の命も理解できない。
情報過多社会の実感の喪失だ。

そしてこれもまたサイクルとして、悲しいことながら、巨大な死の体験をしなければ、実感を取り戻すことができないのかも知れない。


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