魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

花は咲く

2021年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

いよいよ、貨物新幹線が走りそうだ。
乗客が激減したJRは、客員輸送から貨物輸送に切り替え始めた。一方、ANAは機体を売ったり、乗務員を別シフトや出向で待機させるなどしてコロナの終息を待っている。コロナ禍は一過性だが、コロナのトンネルを抜けると別世界が待っている。
観光、飲食、運輸などの産業は、コロナをきっかけに、無くなりはしないがスタイルが激変する。また来る春を待つだけの花は枯れ、一度死んで、新しい種子から生える芽は大きく花開く。
GOTOのような、真冬の焚き火には限界がある。これに頼る企業は春には消える。それぞれは自ら変わらなければならない。ずっと前から聞こえていた冬の足音。今、その時が来たのだ。雪起こしの雷鳴がコロナコロナと鳴り響いている。

今のような観光、飲食、運輸は、決して古代から有ったものではない。戦後生まれたスタイルであり、その業態の寿命が来たのだ。
飲食娯楽と言えば、大家族の戦前は、公娼街が中心で、喫茶やクラブはまだ未発達だったから、宴会や接客は主に自宅で行われ、結婚式や葬式も自宅で行われた。親類縁者もみな自宅に泊めた。
戦後、核家族で家が小さくなると、都会から徐々に、自宅は寝起きする所となり、接客、飲食、冠婚葬祭、宿泊は全て専用施設で行われ、やがて地方にも拡大した。
今では、地方で育った人も、初めから専用施設を当たり前だと思っている。

運輸は、経済発展に伴い、交通インフラが発展したことで、車に頼った人、物の移動が野放図に拡大し、社会はそれに慣れきってしまった。しかし、過当競争の結果、人手不足や排ガス問題、インフラ老朽化などが一気に押し寄せ、限界を迎えていた。
観光も、経済成長に伴い、レジャー産業と輸送機器が発達し、ひたすら拡大路線を追求し、顧客が消えるとは考えていなかった。

拡大した産業が、前提を失えばいかにもろいかを今、さらけ出している。敗戦の冬から高度成長の夏に成長した産業が冬を迎え、また来る春への備えが試されている。
好天に建てた「わらの家」の業態は、冬の嵐にはひとたまりもない。
観光業も運輸業も、落葉樹の葉のような環境依存型産業だが、簡単に吹き飛ぶ「わらの家」は、建て直すのも簡単だ。
つまりは、生き残るのは、過去の葉を落としきり、新芽を用意する者だけだ。これは全ての産業に問われている。

新しい世界に備えて
鉄道は産業革命パラダイムの動脈として、石炭、兵隊、サラリーマンを運んだ。自動車も飛行機も動脈となった。しかし、運ぶ物は時代環境で大きく変わる。
その試練を幾度も経験した鉄道は、発想の転換力を身につけているが、自動車も飛行機も、恐らく初めての経験なのだろう。転換をしようとしない。米民主党政権ではないが、「戦略的忍耐?」で傍観している。

物資輸送が中心の昔は、「客船」や「客車」と聞くだけで、華やかな印象があった。乗り物には玉の輿のように、王侯貴族の響きがあった。
産業革命パラダイムは、庶民に王様の体験を提供したが、この先、人類が環境変化を生き延びれば、さらに、神の体験をする時が来る。
寿命は無限大に延び、居ながらにして情報を得て他と共感する。鉄腕アトムの時代からドラえもんの時代になる。のび太の妄想が現実になると、人類は神の叡智を試されることになるだろう。いま、まさにそんな時代の入口に立っている。

運輸も観光も飲食も、客は「人」ではなく「情報」になる。「情報はお金を払ってくれないじゃないか」と思うようでは、もう原始人だ。人類は古代より通貨を理解し、近代では保険や株や為替を生み出した。
現に、コロナで予約が消えたり、飲食店を救済しようと前払いするのも、情報での決済が理解されているからだ。
これまでも、自分の五感はおろか、商品やメニューでもなく、宣伝で知ったものを吟味もせずに、良いものだと信じる習慣が行き渡っている。コロナパニックも、この習性の虚を突かれた事にある。

実感より、情報が実体となれば、主軸インフラは情報産業に変わり、サービスは人の移動より、物の移動が主となる。
コロナで旅客が絶えたと見るや、韓国の航空会社は直ちに旅客機の座席を外し、貨物輸送に切り替え黒字を出した。善し悪しは別にして、中韓勢はとにかく反応が早い。
一方で、目先の動向と楽観的観測をもとに、勇断のつもりで大投資したシャープは身売りした。前のめりだったANAもひたすら潮待ちしている。
最初に決めた方針を、途中で転換できない日本の体質は、空母時代に戦艦大和を建造し、特攻で沈めた。挙げ句の果て、神話にして心を慰めている。

日本は、未だに大学入試、新卒一括採用を大前提に社会が動いている。子供は結婚を前提にしている。津波予測を知りながら対策をしなかった原発。新型ウイルスを知りながら入国制限をしなかった防疫・・・挙げれば切りがない。
コロナを機に、政府が次世代を先取りした政策に投資するのは良い事だ。
しかし、今ある物の活用にも力を入れるべきだ。ルールさえ変えれば、使える物がいくらでもある。GOTOより、特区のように様々な規制を解除する事により、苦しい国民は自ら知恵を使い動き出す。飲食は今、日本中、持ち帰りやデリバリーにあふれている。

政官は、国民の面倒を見る思い上がりを捨て、国民をさらに自由にする事に専念すべきだ。それこそが、本来サービス業である政治の義務だろう。


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