魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

無傷が傷(2)

2010年02月24日 | 兄弟関係

NHKクローズアップ現代で、30代の話をしていた。

今の30代は、自己責任論の叫ばれた時代に大人になったから、何があっても自分の責任だと思い、他人に「助けてとは言えない」そうだ。
しかし、そんな風にしたのは社会だから。自分一人じゃあないんだと解って欲しい。もっと他人を頼って欲しい・・・
と、九州のボランティアの人が懸命に働きかけていた。(九州は人間関係が濃い)

こういう番組を見ると、何時も、視点がズレているなあ、と思う。
せっかくの救済活動だが、「救済する」立場からの発想だ。
もちろん、そういう志は立派だと思うし、尊敬に値する。

一人っ子時代
番組を見ながら思ったのは、若い世代の「一人っ子化」現象だ。

長子、特に一人っ子は、何事も自己完結で思考する。
他人を意識する末っ子のように、誰かのせいにしたり、誰かに立ち向かったり、自慢したりする「人間関係」を、知らないで育つ。

友達など他人との付き合いも、何か問題が起こると、原因を先ず自分の中に求める。
兄弟で揉まれたことのない不用心な言動が、強い非難に合うと、自分が悪いのだと思う。かと言って、なかなか自分を変えることもできない。反撃に出会った時の、態度の取り方すら知らないからだ。

一人っ子の育つ環境は、みな大人だから、互いを尊重する。大人は優しく、理解しようとしてくれるから、自分も相手のことを理解しなければいけないと思って育つ。しかし、子供はそうではない。

愛想良く近づいてくる末っ子や、何も反論しない中間児と喜んで付き合っていると、ある時、突然、向こうの都合でコロリと態度が変わる。
弟妹型に悪気はないのだが、世渡りと対応で生きるのが当然と思っているから、いちいち一人っ子の「気持ち」など考えない。

うまくいっていると思っていたことが通用しなくなると、一人っ子はショックを受ける。弟妹型は困ったら周りを見渡すが、一人っ子は自分の足下を見る。

一人っ子化世代とは、一人っ子のことではない。
ゲームやパソコン、個室や自販機の環境に加え、「心のケア」とか、個々の気持ちやプライドを気に掛ける社会で育った世代は、一人っ子と似たような感性になる。
「互いに持ちつ持たれつ」の依存関係を知らず、そういう煩わしさを避けたいと思っている。レジ前で、一人一人が料金を払うような現象が、依存や信頼を知らない世代の出現を告げていた。

民主主義の進化?
救済活動をしている人を見ていると、この一人っ子型の心情がまったく解っていない。
「君一人じゃあないんだよ」と言われなくても、そんなことは初めから解っている。困ったら声を掛けてくれと親切に言われても、それは、いわゆる「上から目線」であり、一人っ子の世界に上下関係はない。

培養された自己完結のプライドを活かす鍵は「共に」やろうだ。
それも、同じ事をガンバルのではなく、プロジェクトの一員としてセクションを受け持てば、それなりに自己努力をする。
対等な関係で進行するソフト開発などが典型例だが、これは、甘えや無秩序と言うより、ネットワーク社会の始まりと考えるべきだろう。

何事にも、これまでのタテ型が通用しなくなっている。
民主主義の平等概念と、伝統的なヒエラルキー(△)意識とがぶつかり始めている。
これからの社会は、ネットワーク化しなければ機能しなくなるだろう。
上意下達ではなく、個人を尊重し合いながら生きて行く時代に、向かいつつあるのかも知れない。


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