魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

言語文化

2015年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

イルカや鯨問題は、腹に据えかねるが、もう喧嘩しない方がいい。
何様」、「クジラ
「もう、広報合戦で負けているのに、続ければ、国益にならない」
TVタックルで、パックンが言っていたことに、強く同意する。
何度も言うが、日本人は、あらゆることに空気が読めない一人っ子だ。
自分の気持ちに忠実なのは良いが、何の得もない。

欧米人は、口論に負けると、よく顔をこわばらせ、凍ったように静止する。無駄な反論や負け惜しみを言わない。
それは、屈服したのではなく、次の機会での反撃を、心に誓っているからだ。
負けたものは負けたのだ。「本当はそうじゃなかった」と言って、何の足しになるのか。
こういう行為は「気休め」に過ぎない。
済んだことを、蒸し返そうとする者に、反撃はよけい大きくなる。

イルカも鯨も、既に負けている。勝負あったのだ。終わった勝負を、四の五の言えば見苦しい。しかし、だからと言って、勝者が正しいわけではない。
むしろ、次の機会、別の問題で勝てばいい。あるいは、取り返せばいい。

済んだことをクドクド言うのは、至って東洋的だ。負けたことを本当は負けてなかったという。この点、日本と朝鮮は(どちらも違うと言うだろうが)同類だ。
面白いことに、中国はどちらかと言えば欧米的な発想をする。
中国の反日は、日本を利用しているだけだが、韓国の反日は自己肯定だから止められない。

中国は、日本の敗戦を終わったつもりで利用していたら、日本が「確定事実」を違うと言い出したので、ルールが違うと怒っている。
韓国は、日本に屈服した事実を、「違う」と証明するために証拠づくりをしている。
中国の過ちは、日本の敗戦を利用したことだが、韓国の過ちは、無かったことを創作しようとしていることだ。

日本がいくら違うと言っても、欧米や中国から見れば、日本の抗弁は、韓国と同じに見える。確定していることを蒸し返している。

中国が欧米と同じように、済んだことを確定事実とするのは、言語の配列が似ているからではないかと思う。
日本語の場合、最後に確定する。
「私はあなたのことを好き、ではありません」この言い方に、欧米人は面くらい、場合によっては逆上する。確定したはずのことを、最後にひっくり返すからだ。

詳しい文法は知らないが、中国語は英語読みすると、大体解る。
否定や肯定を先ず確定させて話す人達にとって、日本人の感性、言語は卑怯だ。
日本語の立場から言えば、それだけ辛抱強く注意深く聞かなければならないから、日本人は感性豊かで複雑な思考ができるのだが、世界の大半はそうではない。
「話は最後まで」聞く必要はないのだ。

教養の高い欧米人は、表面的にはそんな風には見えないが、世界の多くの人は、あまりにも素早く反応する。何か言い出したとたん、答えを決め込んで、喜んだり怒ったりする。終いまで聞こうとする日本人は、このスピードについて行けない。
また、日本人以外と話す時には、この点を注意しなければならない。特に、相手に対して敵意がない場合はなおさらだ。

「早とちり」した中国が、躍起になっているのは、確定しているはずの「事実」の証明だ。
そして、言語、文化の違いは、中国人にとっても欧米人にとっても、日本人が不可解に映る。
クジラ、イルカ、マグロ・・・日本人からすれば、理解できない言いがかりに聞こえるが、相手を説き伏せるのは、「日本の文化」的な、独りよがりではなく、文化の違いを熟知した、相手の視点からの対応、相手の言語感覚からの説得だ。

クジラも、イルカも、とりあえず止めた方がいい。その上で、日本に対する信頼を得て、「からめ手」で食糧問題の主導権を取るべきだ。
また同様に、中韓の歴史認識問題は、元来、彼ら内輪の問題だから、下手な反論や態度で、火に油を注ぐようなことは止める、「べきだった」
人の噂も70年のはずなのに、日本自身が対応を誤っている。
先ずは、クジラ、イルカから始めよう


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