魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

観音信仰 2

2019年07月01日 | 探訪・紀行

突然の雨で、道は渋滞していたが、雨をしのげることがありがたかった。バス代400円は雨宿り代にしては安い。
橿原神宮東口に着くと、ちょうど雨雲が追いついて来た。
待合所の屋根の下に降りると、風と雨が激しさを増し、わずか4~50m先の駅舎まで駆け込めない。バス停の屋根も役に立たないから、目の前のビルの軒下に飛び込んだ。
自転車が並ぶ中央部は滝のように吹き込んでいる。角に寄るとかろうじて濡れない。
バスを乗り継ぐために降りたのだろう。80歳ぐらいの女の人も慌てて傘を持って軒下に飛び込んだが、中央部は土砂降りだ。
「こっちはマシですよ!」と、声をかけると、
「ありがとうございます」と近くに来た。
しばらくすると、
「ありがとうございました。バスが来ましたので」と、さっきから停まっているバスに乗りに行った。
バスが来た時、すぐに乗りに行かなかったのは、小康状態を待っていたのか、すぐ行くのは失礼だと思ったのだろうか、奈良の人ならそれもありそうだ。土砂降りは続いている。

断続的に、ガシャーン、ギシャーンと、雷が落ちる。稲妻が波打つ雨を照らし出し、時折、傘を差した人が走って行く。どう見ても、傘の意味がない。
ようやく、雨がまっすぐ落ちるようになり、幾分、収まってきたので、駅舎まで走ることにした。
駅は、風呂上がりのように髪を濡らした人であふれ、携帯をのぞき込む人や電話をする人、空を見上げる人など、ザワついている。
この狭い改札から、駅中商店街に行くには、線路を越えて、雨を突ききらなければならないので、人がどんどん溜まる、
もう、ここまで走って来た勢いで、駆け抜けるしかない。

駅中商店街もザワついているが、幾分、人口密度に余裕がある。
ちょうど、京都行急行が来たので乗り込むと、席は空いているのに座らない人が何人もいる。見るからに全身ずぶ濡れだ。みな、傘を持った若い人で、傘を頼りに来たのだろう。
「落雷で遅れております・・・」と、アナウンスが入る。

ほとんどの人が濡れているが、ずぶ濡れは傘のある人だけだ。きっと傘が災いしたのだろう。傘が無ければ、ドラマのようには飛び出さない。
傘は防備の象徴だが、最悪の事態には役立たない。豪雨や台風には避難だ。夕立も、小雨を待つのが良策だが、若者は、傘があれば待つより、進む。

防備の為の軍事力も同じだ。どんなに武装しても、戦争が始まれば無傷では済まない。
軍備が役立つのは戦争をするまでだ。いざというときの心理的安心感と、狼藉者に対する警告に意味がある。戦争をするためではない。

ところが、軍備は傘のようなもので、あれば、使いたくなる。傘や長靴を買って貰った子供は、雨が待ち遠しくてたまらない。
年寄りは傘があってもよほどの用事がなければ出かけないが、若者は傘さえあれば、雨でも出かける。そして、土砂降りでずぶ濡れになる。
自称、発展途上国の若い中国は、次々と傘や長靴を買いそろえ、雨も降っていないのに、南シナ海で傘を差し、長靴でジャブジャブとやる。自分がずぶ濡れになるのは勝手だが、周りまで水浸しにされてはたまらない。

傘が無ければずぶ濡れにならなかったであろう日本のワカモノは、迷惑を考えて座席に座らないが、武器を持ったバカモノは周りの迷惑を考えない。

何はともあれ観音力
観音様のおかげで、ずぶ濡れを免れた壺坂参りだったが、経緯を思い返しながら、時刻表を、もう一度確認してみた。どこへ行くにも、ふらりと無計画に出かけるから、正確な時刻表など確認していなかった。

改めて行程を振り返ると、「壺阪寺前」に着いたとき、時間待ちをしていた「壺阪山駅行」のバスは、13:30であることが分かった。
寺の受付の人は、「次は、4:05(16:05)です」と教えてくれたが、その間に、14:35と、15:35がある。これは3月~11月の季節限定だが、運休期間の方が短く、今は運行中だ。
何で「14:05」しか言わなかったのかは、色々に考えられるのだが、「最終は14:05」だけが念頭にあったのだろう。日頃、自分が乗ることはないのかも知れない。

坂を登り切って、ようやく着いたばかりで、時刻表まで確かめに行く気力がなく、横着をして、人に頼ったことが、そもそもの間違いだった。
その上、嬉しそうに教えてくれた「近道」を使わないのも、申し訳ないような気がして、何も考えずに、「近道」に直行した。これもうかつだった。近道の入口の横にバス停があるのだから、自分の目で時刻表を再確認すべきだった。

「近道」を下りて、「壺阪寺口」で30分待って乗った件のバスは、15:36だったから、寺前のバス停の15:35には確実に乗れているし、もしかしたら、14:35にさえ、乗れていたかも知れない。
仮に、15:35だとして雨が降ったとしても、その前から時間待ちをするバスに乗っていられるから、濡れることはない。
そして雨の中、壺阪山駅に着けば、バス停は駅舎の真ん前にある。そこから、電車で橿原神宮に行き、京都行きに乗り換える場合、全く雨には濡れなかったことになる。

こんな、うかつな勝手をしても、ずぶ濡れにならなかったのは、やっぱり観音様のおかげだろうか???


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