壷阪寺に行った。西国三十三か所、六番札所の南法華寺だ。
以前、飛鳥で時間が余ったので行こうとしたら、考えが甘いことを思い知らされた。
近鉄の壺阪山駅に行ってみると、「壷阪寺前」行きバスの最終が15:50で、すでに終わっていた。せっかく来たので、営業5時までだから、歩けば行けるかもと、ダッシュで歩き始めたが、2キロほど歩いて、思いとどまった。この先、坂なのに、到底無理だ。
・・・で、虚しく敗退した。
今回は、比較的早めに西大寺から橿原神宮前行きに乗った。雨の予報にもかかわらず、朝から快晴だ。奈良で鹿の顔を見て、「にゅう麺」を食べ、飛鳥方面に向かった。
調べると、乗り継いで壺阪山寺駅まで行かなくても、橿原神宮駅東口から、一時間おきに「壺阪寺口」を通る51番のバスが出ているではないか。しかも遅くまで走っている。「今日はこれで行こう」と決めた。
幸い、東口では15分ほどでバスが来た。バスは、壺阪山駅前を通り過ぎると、ちょうど壺阪山駅から出てきた「壷阪寺前」行きのバスが前を走っている。電車を乗り継いで来た場合と、時間は同じということか。
二台のバスは、以前、歩いて断念した道をアッという間に通り過ぎ、「壷阪寺」の大きな看板が見えてきた。 前のバスはその看板を左手に曲がって行った。『ああ、あの方向に行くんだな』とは解ったが、「がんばるぞ!」と、速度を上げて見えなくなった。こちらのバスが少し早ければ乗り継げたのかもしれない。
少し先の「壺阪寺口」で降りると、今消えたバスを追って歩き始めたが、たちまち坂道になった。
スマホでは、ここから壷阪寺まで2.4km、高低差167mの登り、50分かかるそうだ。
『聞いてないよー!』
コンクリートの自動車道を登って行くと、60代の男女3人が ウォーキング・ステッキを突き、歓談しながら降りてくる。完全装備だ。接近すると、三人とも沈黙したので、「こんにちわー」と声をかけると、「こんにちわー」と三重奏ですれ違った。
しばらく行くと「壺阪寺ハイキングコース」と書かれた細い脇道があったが、そんなつもりではない。自動車道の日陰を選びながら、そのまま登って行った。
どれぐらい歩いたのか、ようやくさっきのバスが停まっている駐車場が見えてきた。
その駐車場を抜けると、まだ坂が続いている。停まっていたバスが、後ろから追い抜いて行った。ようやく、壷阪寺が見えたところで、バスが停まって時間待ちをしている。
寺の受付で聞くと、次のバスは最終の16:05だと言うので、思わず「うわー、相当待つなあ」ともらすと、「大丈夫、近道を教えてあげます」と、用意してある周辺マップに道筋を描き込んでくれた。
1時間ほどで拝観を済ませると、まっすぐ、バス停横の「近道」を下り始めたのだが、『ほんとにここか!?』と思うぐらい細く、草が生い茂っている。草をかき分けて進むと、行者道のような木の階段があるから、間違いではないようだ。
どんどん下っていくと、まさに山道で、川か道か区別がつかないほど流れの跡があり、水で足元が悪い。
まあ、散策と考えれば、楽しい道なのだが、こちとら急いでいる。空模様が怪しくなり、どうやら天気予報が当たりそうだ。
結局、出たところは、案の定、登りに見かけた、「壺阪寺ハイキングコース」だった。降りてきた三人組も、おそらくここを通ったのだろう。ハイヒールではないものの、溝の無いスニーカーでは苦行だった。
だが、話はこれからだ。
「壷阪寺口」のバス停に行くと、反対方向の橿原神宮方面のバス停は相当離れたところにあった。次のバスまで30分ぐらいあるが、1時間置きならましな方だ。
誰かが置いた古椅子に座って待っていると、陽射しが無くなり、あたりが暗くなってきた。明らかに夕立の気配だが、あと10分。もつだろうか。
そのうち、山間が霞み始め、その上の黒雲がこちらに迫ってくるのがわかる。
バスの定時まで、あと3分。体に少し霧のようなものがかかり始め、完全に真っ暗になった。雷鳴が響く。あと1分。
第一、バスは定時に来るのだろうか。周りに雨宿りするようなものは何もない。傘もカッパも持っていない。
道の反対側に背を向けた建物、「ベアーズベアーズ」とラブホらしきものがある。いざとなればあそこの駐車場にでも飛び込むしかない。
時間は来たが、バスは来ない。 風が吹き、霧雨が雨粒に変わり始めた。その時、峠の上に四角い車の灯りが見えた。 まだ、トラックかバスかわからないが、ゆっくりと下って来る。
小型バスであることは分かったが、何のバスかは分からない。雨は、大粒に変わり、バラバラと音がする。
まばらな雨粒の中を、バスが道のわきに寄り始めた。「キター!」
早くドアを開けてくれーッ! 早く!早く!
半開きのドアを押し開けるように乗り込むのと、ほとんど同時に、ダーッと雨の音がして、何も聞こえなくなった。窓の景色も見えない。
まるで、サイゴン陥落の難民が、最後の飛行機に飛び乗れたような、喜びと安堵感で、しばらくボー然としていた。
間一髪で助かったのは観音様にお参りしたおかげに違いない。観音経は観音様をひたすら信じれば救われると教えているが、まさに、壺坂霊験記だ。
雲雷鼓掣電
降雹濡大雨
念彼観音力
応時得消散
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます