魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

抱っこ紐

2015年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム

「抱っこ紐」の偽ブランドが6割以上も出回っていると話題になっていた。
幕末に来日した欧米人が、日本人は子供を異常に可愛がると驚いていた。
可愛がり方の例として、「おんぶ」することを不思議がっていた。日本人からすれば、何が不思議なのか解らないのだが、幕末の写真には子供をおんぶする姿が映っている。その後も、欧米かぶれの育児論には、「おんぶ」を否定的に論ずる意見が散見された。

理由は様々だが、強いて説得力があると言えば、「O脚」あるいは、股関節脱臼の癖がつくぐらいで、あとは文化の違いによる偏見に基づくものだ。
小泉八雲の「幽霊滝の伝説」では、真夜中、度胸試しに滝の神社に行って賽銭箱を持って帰った「お勝」のおんぶしていた子供の首が、妖怪にもぎ取られる。
おそらく、森の暗闇を闇雲に走ったことで、子供の首が木の枝などで千切り取られたのではないかと思うが、確かに、「おんぶ」にはそういう危険もある。

しかし、この話でも分かるように、「おんぶ」することで、母親は他のことをしながら、子供を連れて回り、面倒を見ることが出来る。日本の女はそれだけよく働いたし、古代、母系社会の日本では、生計の主体は女であり、男はライオンの雄のような、女に養われる存在だったと考えられる。その名残は、南の島や、東南アジアから雲南辺り、広くはアメリカまでの、男が化粧や戦争に明け暮れる村に残っている。
漁や狩猟は不確実な収入だから、実質、生活を支えたのは、貝や木の根、木の実などを集める女の働きが大きかっただろう。

しかし、「抱っこ」は、働くには決定的に邪魔になる。現在の「抱っこ紐」にしても、おんぶ紐の変形で、移動することは出来ても、作業をするためのものではない。
田植えなどの農作業をするようになってからは、「おんぶ」でも邪魔で、箱やワラに詰めて動かないようにし、田の横に置いておいた。(いづめ)

先日、「抱っこ紐」で、もう、歩きそうな赤ん坊を抱いたお母さんが、三つぐらい手提げ袋をぶら下げて、エレベーターに乗り込んできた。お母さんは、右の荷物や左の荷物をまとめようと、右にかがんだり左にかがんだりする。その度に、赤ん坊は周りの景色を見ようと、懸命に、右を向いたり左を向いたりする。
赤ん坊の気持ちになって、『これが、おんぶなら、お母さんの背中から悠々と景色を見ていられるのに』と、かわいそうになった。

抱っこ紐は、アメリカ式の「ニュースタイル」だろうが、せめて赤ん坊も前向きだったら嬉しかろうにと思った。実際、前向きのスタイルのも見たことがあるが、父親がしていた。赤ん坊の手足が、前でブラブラするのは、母親としては不安なのかもしれない。
何時でも母子が顔を見られるのが、うたい文句のようだ。


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