オリンピックが終わって、ようやく静かになった。
木星→魚座の中韓のワル乗りも、お約束通りだった。
木星が去った直後のロシアも絶不調で、頭に来た大統領がいかにもロシアらしいセリフを吐いた。
「責任者は辞任すべきだ。出来ないなら私が助けてやろう」
何ともウオッカの香り芳しい、すてきな言い回しに、爆笑した。
オリンピックも、産業革命パラダイムの一員だ。
国家競争の戦争ゲームとしての国威発揚競争。
祭りで稼ぐテキ屋商売に欠かせない、無用の熱気と盛り上げ。
国家とマネーの共演アトラクション。虚飾にまみれたオリンピックを招致したがるのも欲のためだ。
現状のオリンピックに、スポーツは関係しない方がいい。
もちろん参加するのは結構だが、「メダルは関係ない」という大人の姿を見せれば充分だ。参加することに意味がある、という態度を堂々と示して欲しい。
ひたすらメダルを取るためだけの強化対策など、オリンピック本来の志を愚弄するものだ。
スポーツを日常的に楽しむ社会文化の一環として、オリンピックにも参加する。勝てば勝ったで結構なことだが、あくまでそれが目的ではない。メダルを取るためだけに参加して、自慢する国があれば、大人の目で「えらいえらい」と褒めてあげればいい。次元の違いに誇りを持ちたい。
そういう余裕を持つためにも、オリンピック強化のために国費を投ずるようなことは、一切、止めた方がいい。
国費を投じて勝てなければ、責任論が出てくるのは当たり前で、
大統領が「私が助けてやろう」と言わなければならなくなるし、
国家総掛かりでやっても、勝てないと、ガッカリすることになる。
それでも勝ちたいという人達は、同志を募り、賛助金を集めればいい。
こんなことを言うと、
「国旗掲揚のために頑張っている選手(戦士)になんてことを言う」
という人もあるかも知れない。
でも、どこかで話が違ってきていませんか?
オリンピックは、国家競争ではなく、スポーツを愛する出場者個人のものだったはずではないですか。
何で国旗・国歌になるんですか?
オリンピック=国威発揚、という図式になってしまったのは、我々が、産業革命パラダイムの、時代の子だからだ。
時代は大きく変わろうとしている。スポーツに対する考え方も、勝ち負けだけが目的ではないという、原点から考え直す時が来ている。
国威発揚競争から、一抜けた・・・と
大人になりたい
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