魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

限界だ

2010年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

もう何度も、同じ話題を書くことになる。
結婚の未来2」「昔には帰らない

奈良で、また子供が虐待死した。
「夫婦仲が悪くなって子供に愛情を持てなくなった」という理由だそうだが、子供を育てるのは愛情ではない。義務だ。

自立できない幼い命を養うのは、親と社会の義務だ。
親と社会といっても、親より社会の方がより責任が大きい。親が養育を放棄することは動物にもあるし、親が死んで養育できなくなることもある。
その時、代わって育てるのは同じ集団の大人であり、大家族時代なら一族で育てた。

様々な事情で、親が子供を育てられなくなることは、ごく普通に起こる。
赤ちゃんポスト出現の時、親が育てないのは責任放棄でケシカラン、という議論が噴出した。しかし、親の精神崩壊も親の死もあるし、
それ以前に、核家族化による、親の子育て教育が失われていることも、養育困難な環境となっている。

いずれにせよ、「親が子育てするもの」という単純な原理が通用しなくなっている。
未来に対して柔軟な発想を持ち、子供を育てるのは社会の責任であるという認識で、社会環境を整えなければならなくなってきた。

虐待事件の多発は、旧概念の崩壊と、新時代への発想の転換に向けて、社会全体に、勇気を持てと告げているような気がする。


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