魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

この道は(3)

2014年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

われ先の時代
昭和初期、世界的な不況とブロック経済の中で、東洋では日中戦争、西欧では全体主義と共産主義の葛藤が起こり、互いの囲い込みによる生存権争いが起こった。

今、FTAからTPPへ続く状況や、地政的あるいは経済的、大国同士の覇権争いなども、ブロック経済と同じ、要は、生存権の争いだ。
それが戦争になるかならないかは、時代の「覇権の意味」によって変わる。例え、戦火を交えなくとも、マネーや情報の争奪によって、ある国は勝利し、ある国は敗北して困窮することになる。

戦争は殺し合いだから、例え、戦火を見なくても、双方が傷つくことになる。経済的な混沌状況が生まれることでも、支配権が移り、財力が移り、世界のバランスが変わる。

こうした、生存権の争いが、生きていくための当然の行動のように思えるのが牡牛座の時代だ。
冷静になって考えれば、協力し分け合うことが互いの生存を守ることになると、誰でも解ることなのに、バーゲンセールに突っ込んでいく人のように、われ先になるのは、人類の性なのだ。

思考停止への道
昭和初期の大不況から、戦争までの道は、牡牛座の時代だ。
冷静になって考えれば解ることが、考えられなくなっていく時代でもある。
最大の理由は、食べる物に窮すること。不作と不況だ。
「貧すれば鈍する」は、誰にでも当てはまる。

苦しいと、人は考えられなくなる。それでも、そういう中で考える人こそが偉人なのだが、普通の人は、考えることを止めてしまう。
混乱と抑圧の中で生まれるのが宗教だ。
自分を見つめ生きる理由を求める哲学と、苦痛を取り去る救いの宗教とは、区別が難しいが、思考停止した人がとりつかれるのは宗教だ。

苦しい状況を自分で抜け出そうと考えるのではなく、誰かの力によって「自分は間違っていない」と安心させてもらうのは、宗教者ではなく信者だ。
あなたは間違っていない、正しいことをしていると告げる言葉は、思考停止した人にとっては、五臓六腑にしみ通る一杯の酒だ。
美味くて、気持ち良く、全てを忘れさせてくれる。
昭和初期には、新興宗教が次々と興った。

笛吹き男の出現
私の言葉に従う限り、あなたは正しい。われわれは正義だ。
髪を振り乱して叫んだヒトラーだけではない。神の民族に逆らうものは鬼畜だ。ブルジョワは民衆の敵だ・・・様々な教義が、追い詰められた人達を導いていった。

こうした言葉に簡単に反応する下地は、苦痛の中の思考停止から始まる。理屈っぽく語ることが嫌われ、語る者は揶揄され拒否され、やがて危険人物と見なされるようになる。今流行りの「語るね」もそうだ。
日本では和歌が大和魂の象徴として持てはやされたが、今また、和歌が大ブームだ。

もちろん、和歌を否定するものではない。世界に冠たる偉大な文化だ。問題なのは、理屈っぽい論壇が拒否され、お笑いと誹謗、簡潔な和歌、あるいはツイッター的文章だけが受け入れられる、世の空気だ。

クローズアップ現代で取り上げられた、聞き心地の良い言葉が氾濫する「ポエム」への危惧とは、
均質化を求め、変わり者を排除し、イジメを生むような学校教育で成長した若者の姿だ。もう若者とは言えない、40代まで広がっている。

快適な感覚だけを受け入れる思考停止の中で、正義のため、国のため、良い事のため、滅私奉公・・・と、解りやすい笛に付いていく。
そういう時代にさしかかっている。