魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

寝ぼすけ

2014年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム

今年も既に、5日過ぎた。
年の初めは日数を数えられるから、時の早さを実感する。
一月ほど経つと、日数が分からなくなり、「えっ、もう」と、何度も思ううちに、気がつけば桜が散っている。

1月「行く」、2月「逃げる」、3月「去る」・・・昔は一月「いぬ」と言ったが古語なので、今は「行く」の方がいいだろう。
とにかくこの季節は、正月ぼけも覚めぬ朦朧のままに過ぎてしまう。
一日で言えば、目覚めて布団の中で、ウツラウツラしていると、
「えっ、もうこんな時間だ!」と、飛び起きることになる。そんな季節だ。
冷たい人

一日と、一年を対比させる考え方は、洋の東西を問わず、普遍的にある。日本のように四季のある土地なら、一年をはっきりと感じることができるのだろうが、それでも秋になると、暖かくなる春を思い出せない。

そんな忘れっぽい人間でも、今朝のことは憶えているだろう。一年の移ろいを一日に例えれば、なるほど光陰とはそういうものかと実感できる。
一年が月の消長で12に別けられることから、一日も12刻に別け、世の中が忙しくなると、さらに半分に区切り、夜と昼の12刻を24時間とし、今では秒単位で動いている。

秒単位で動くようになったから、人間は時をよく心得ているかと言えば、むしろ逆で、めまぐるしさに忙殺され、四季、歳月を忘却し、機械が告げる時だけを信じて振り回されている。

自然の子である人間が、自分で生み出した機械時刻によって、自然から切り離された孤児になり、煌々とした文明の灯りの闇の中で、行方を失い彷徨っている。

本当に、一体この大消費文明はどこに向かっているのだろう。
大量生産が必然的に求める大消費の権益。それを求めて、再び世界をかき回そうとする遅れて来た大国。
それに乗せられ、同じように知恵の無い対抗策を打ち出す国。
何とか、事なかれで納めようとする、老いた大国。

ヒトラーを、事なかれで納めようとした大英帝国のチェンバレンと、今のオバマ大統領・・・
機械が刻む時の中で、やはり、歴史は繰り返すのだろうか。

正月ぼけの暖かい布団の中で、もう少し寝ようとするのだが、古い悪夢に取り憑かれ、どうにも眠ることが出来ない初春の朝がうらめしい。