魯生のパクパク

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2013年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

牛丼を初めて食べた時、なぜか腹が立った。おそらく、家畜扱いされているような気がしたからだろう。
70年代、新橋駅近くの吉野家だった。
それまでも、カレー専門店や、とんかつ専門店は普通に、カウンターの店があったが、牛丼屋は、何か良く解らない合理性に腹が立った。

それまでは、カウンターや立ち食いの店でも、店構えに気を遣い、提供する人間と客との間に、何かしらの接点があるような雰囲気があった。駅裏の焼き鳥屋にも人間味があり、人間が食べるところだった。

ところが、吉野家の雰囲気は、体験をしたわけではないが、闇市のメシ屋のようで、食い物があるだけで威張った商売をし、客も喜んでガツついている・・・そんな雰囲気だった。
あれこれ選べる余地などない。何もない時代の雑炊のように、牛丼しか無かった。見た目など毛頭考えていない。

首だけ出して、毎日同じものを食べる、養鶏場のブロイラーや、牛小屋の牛のような客扱いだ。これも体験したわけではないが、軍隊の食事の方がもっと人間的だろう、たぶん。

しかし、これは外食産業の本質を良くとらえたやり方だったらしい。その後、吉野家は大発展し、二番三番煎じが次々と現れて、牛丼が新しい日本食に定着した。
実際、牛丼を時々、妙に食べたくなる。アメリカのハンバーガーチェーンのような存在になった。

そうなると、牛丼のバリエーションも多彩になる。すき家、松屋は吉野家より、商法として食事にウエイトを置いている。うどんを提供し始めたのは、確か、なか卯が最初だったように思うが、関西発ならではの発想だろう。牛丼も甘口だ。

近頃では、牛丼のレトルトも定番になったが、ここまで来ると、吉野家の存在意義が改めて解ったような気がする。
吉野家は「吉野家の牛丼」の店なのだ。

後発の牛丼は実に様々なものが出てきたが、吉野家のシンプルな味は鯛の塩焼きのようなもので、余計なことが一切無い、肉とタマネギと米だけの美味さに徹底している。しかも、醤油味を活かした関東味の真骨頂だ。

好みだけで言えば、吉野家以外の牛丼は、牛丼ではない。
他社の牛丼は肉煮込みであり、肉ジャガならぬ肉タマだ。タマネギは初めから甘みが出るものだから、甘口に仕上げる必要はない。また、過剰に煮込んでもいけない。タマネギが死んでしまう。

肉とタマネギ
子供の頃、好き嫌いは無かったが、ネギやタマネギは苦手だった。ヌルリとする感覚が嫌いだった。
ところが、シシカバブしかない中東の食堂で、シシカバブを頼むと、皮付きのまま小ぶりのタマネギが、コロリとテーブルに添えられる。
『なんじゃ、こりゃ?!』と周囲を見ると、みな、当たり前のように皮をむいて、かじっている。それまで、何週間もケバブ料理ばかり食べて、むかついていたが、国境を越えると、この辛味のある生タマネギが初めて出された。猿のようにムくタマネギは、涙が出るほど美味かった。涙はタマネギの汁かも知れないが、とにかく感動した。
タマネギが好きになったのは、この時からだ。

タマネギと肉料理は切っても切れない。日本でタマネギが食用に栽培され始めたのは明治以降のことだそうだ。タマネギそのものは持ち込まれていたが、食べなかったらしい。という事は、結局、タマネギは肉食を始めてから食べ始めたという事で、それほどのベストマッチだ。

肉を活かすには、タマネギを成るべく生に近い状態にするのが、正道だ。吉野家はここを良く押さえている。
吉野家の調理法は色々と推察できるが、他社の、いわゆる牛丼は、基本的に煮込み料理と考えているようだ。

中国人が、料理とは火を通す物と考えるように、民族文化によって、料理には固定概念がある。
日本の場合、素材を活かす料理と言われ、基本的に生食か、生食風に仕上げるものだとされている。煮込みも欧米のペースト仕上げやソースと違い、形を残すのが基本だ。

生食へのコダワリは、活け造りや躍り食いに残り、火を入れるとなると、具材を同時に煮込んでいき、互いの味を染みこませ、型崩れしないように仕上げるのが良しとされている。
吉牛と、いわゆる牛丼が違うのは、この、食材の調和、同時煮込みの概念だろう。