魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

銀河の星

2013年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム

7月。ようやく、本を裁断せずにスキャンできる、日本製のブックスキャナが出た。注文殺到で当分手に入らない。それどころか、プレミアが付いて取引されている。
PFUのScanSnap SV600は、オーバーヘッド読み取りを進化させたもので、いかにも、「日本製品ならこうなる」の期待を裏切らぬものだ。
しかし、長かった・・・

これまで、個人用のスキャナをあれこれ10台ほど使った。
本を断裁せずに自炊するため、海外製のブックスキャナも使ったが、あっけなく故障した。
日本企業にあちこち電話してお願いした。「日本製のブックスキャナを出して下さい」と。しかし当然、どこも出さなかった。

明らかに、目に見えるユーザーのニーズがあるにもかかわらず、日本企業は冒険をしなかった。
今回出た、SV600にしても、海外のベンチャーがデジカメを利用したオーバーヘッド方式を出してから、10年近く経っている。

ブックスキャナは、その気になれば様々な方式がある。それほど難しくない方式も考えられるが、日本企業は亀のように引っ込んでいた。オーバーヘッド方式に動きが見えてくると、ようやく開発を始め、凝りに凝った物を出してきた。まだまだ発展の余地はあるものの、ユーザーは殺到した。
日本企業が、いかにユーザーを無視してきたかを物語っている。

が、それでも、「さすが、富士通さん」と、感謝したい。ScanSnapが売れたのは、ニーズに的確に応えていたからだ。画素数にばかり拘って、客が求めることを無視し、ScanSnapが売れると、イヤイヤ形だけまねをしたような製品を出した、どこかのE社とは心がけが違う。E社ユーザーだっただけに、よけい煮えくりかえる。

数年前、やむなくScanSnapや海外製のブックスキャナを使いだしてから、敵意さえ感じる。今からでも遅くない、目覚めて欲しい

統一の不合理
日本企業は、ユーザに応えねばならないことは解ったようだが、革新を受け入れ、遊ばせる土壌は無い。(無くなった?)

しかし、大企業の保守性は、日本だけではないのだろう。大集団は大きくなるほど動けない。大集団を覚醒し、活性化させるのは、常に、取るに足りない片隅の落ちこぼれ集団だ。

中国が、統一と崩壊の歴史を繰り返してきたのも、階級型統一への強迫観念と、その硬直化を打ち破る周辺勢力や下層勢力との興亡の繰り返しだ。大帝国が、あっと言う間に崩壊する。

アメリカのような複合体は、一気に崩れることが無い。日本も東西の基本的な異文化の上に、武家時代の複合統治が、中身の濃い社会をつくった。ところが、明治の中央集権化の後、100年も経たないうちに硬直化して、自己再生できない体質となり、敗戦まで突き進んだ。
一元的なタテ組織は、必ず崩壊が待っていることを示している。

組織は小さいほど有効だ。そして、意思伝達はタテ一元化ではなく、銀河の星のように、無限の細胞のネットワークで動くことが、もっとも活性化する。
人類は今、ようやく、その時代の入口に立っているようだ。