もめ事の解決策を考えるには、是と非を比べ、第三の道を考える。
是と非はそれぞれに正しいが、必ず理にかなう第三の道がある。
第三の道が真実というわけではないが、是非のジレンマからは、離れられる。
双方が自分の取り分が百だと言えば、普通は中を取って、50・50に落ち着かせようとする。だが、これでは双方に不満が残る。
こういう場合は、先ず、双方をゼロにするところから始めれば、話を始めやすい。双方がそれに納得しなければ、逆に、双方を百にする。
そして、双方を百とすることが無理であることを解らせる。
これが、大岡裁きの、子供の奪い合いだ。
双方が、自分の物だと確信すれば、次は、その物に対する思惑が働き始める。もし自分の物なら、次にどう扱うかと考える。
偽の母親は自分の物にするのがゴールだから、それ以外の思惑が働かない。本当の母親は自分の物と約束されたなら大切にしたいと考える。
ゼロから考え、どちらの物かを決めようとすれば、大小の際限ない論争が続くが、逆に、百%にして、
「じゃあ、もしあなたの物ならどうしますか?」という問に、本気で答えさせる方法が、「引っ張り取った方の物」という、引っ掛け回答だ。
子供を本当に愛する母親は、子供を痛めてはいけないと手を離す。
大岡裁きは母親の愛情を見抜いて、白黒を付ける。
しかし、これは養育の権利の妥当性を判断しただけで、もちろん、DNA検査をしたわけではない。
これが、昔流の「道理」の考え方だ。物理的事実より、本当に必要な人は誰かを考える。
今日では、何ごとにおいても科学的であり、物理的事実やルールに基づいて、論理的に判断されるべきだと考えられやすい。
現代なら、DNA検査をすれば、手を離した母親の方が他人だったかも知れない。そうなれば、合理的に無慈悲な実の母親に渡される。
現代の悲劇は、クッキリと木が見られるようになったことだ。
そして、大きな森が見られなくなった。
木か竹かではなく、森という第三の視点こそが解決策であり、この場合の森である「愛情」といった、曖昧な「道理」を理解できなくなってしまった。その一方で、「愛」と言う杓子定規な言葉だけは虚しく氾濫する。
日中の母
アンケート調査の信頼性がどれほどのものかは別として、
日中共に、相手国に対する不信感が90%を越えているそうだ。
原発にしてもそうだが、へそ曲がりのせいか、常に少数派の立場に立ちたくなる。 →「支持率」
日中の国民感情を激突させているのは、尖閣という小さな島だ。
この島が木か竹かの論争は、双方とも自説を確信している。
→「一衣帯水」
しかし、一体、何のために、自分の物でなければならないのか。確かに自分のものなら、今日からどう扱うのか、何故これまで何もしなかったのか。もし、どちらの物でもないとすれば、第三者がこの島を爆破すると言えば、どうするのか。
そんな、基本的な視点が飛んでしまって、面子とか威信とかの言葉が飛び交い、その根拠として、「領土は国家の礎」のような論理が飛び交っている。
確かに領土は大切かも知れないが、国家の礎は国民だったはずだ。
領土のために国民の命を奪う様なことが、いつの間にか当たり前に思えてくるのが戦争の時代だ。
日中がもめて、アメリカは困り、日本にも圧力を掛けている。
この際、日本の論拠であるアメリカに、施政権とやらを返してしまって、米中で解決してもらえばいい。お手並み拝見だ。
それが第三の策だろう。 「妄言語録」
現在のもめ事の発端は、アメリカと田中角栄の失策だ。