魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

商是信也

2013年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

聞くところによると、日本を追い越した中国の富は、中国人の一割に、全体の八割が集中しているそうだ。しかも、その多くの富裕層が、海外移住を目指し、富を海外移転している。
その上、中国は手にした金を軍備につぎ込んでいる。

中国で稼ぐには、共産党に絡んでなければ稼げない。共産党は成立段階から、戸籍による差別社会をつくり、人民を労働奴隷として富を得た。中国富裕層とは共産党のことだ。

人は自分の価値観で他人を見る。日本を「泥棒」と公言する中国共産党こそが、中国人民から富を盗み取っている「大泥棒」だ。
中国を愛する者としては、騙されている中国人以上に腹が立つ。

どんな大悪人であろうと、中国人はメシを食わせてくれる限り、信用し続ける。極悪非道の共産党を倒すには、軍事より経済だ。
例え現在の「大親分」を取り替えても、次に良い人が現れるわけではないが、情報規制を解いて、世界の空気を共に吸えば、違う展開があるだろう。

中国が居丈高に構えるのは、「中国の魅力には勝てまい」と、思い上がっているからだ。
二者択一の陰陽思想の恐るべき単純さ。(これが大好きなのだが)

レアアースの件が典型だが、何よりも人口を武器と考えている。
中国共産党にとっては、人民こそが財産であり、同時に、その財産を道具に使う。
中国に人口がある限り、欲に駆られた西欧諸国は中国を無視できまいと信じ、どんなことをしても、西欧は最終的には中国に頼るしかないと信じている。

何とも憐れな浅ましさだ。
人として付き合おうとしている男に、「あんたはわたしの身体が欲しいんでしょ。ほれ、ほう-れっ」と、得意になっているブスのようだ。自ら人間を捨てている。

そしてまた、実際、手近にあるその身体に、思わず手を出してしまうのが、男(企業)の悲しさだ。

企業の社会的責任とは、ただ金銭的還元をすることではないだろう。
中国の大地のみならず、地球上に暮らす人々に、真に豊かさを提供することが、社会的責任というものではなかろうか。
中国共産党のような、中国人民を食い物にする、「大泥棒」に荷担することはまさに、「悪徳商人」以外の何ものでもない。

金儲けに、良いも悪いもあるかい、と言われれば、それは哲学の問題だから、返す言葉はない。
しかし、商は信なりとは、互いの信用だけではなく、時間をかけて形成される、個人や企業への信頼であり、大局を見ない商いは、必ず淘汰される運命にある。