魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

鏡の車体

2013年01月19日 | 自動車人間学

鳩山元総理には驚いた。
「やる、やる、と思ってはいたが・・・」と言うやつだ。

南京事件や尖閣認識がどうであろうと個人の自由だと思うし、自民党政府の認識が正しいとは限らない。
しかし、「元総理」は公人だ。公の場の言動は政治的な意味を持つ。

招待された海外で報道を前にしての言動は、確実に政治的立場の表明であり、日本の元総理として日本の意思の表明とみなされる。
そうした行為を、おそらく誰とも図らず、思いつきで垂れ流している・・・としか思えない。

南京事件や、尖閣問題について意見があるなら、先ず国内で、国民世論に向かって、詳細な意見を述べるべきだろう。できるならばだが。
おそらく、自分で検証するようなことは何一つなかっただろう。
国内でも、あれだけ矛盾だらけの思いつき放言をしながら、まったく意に介していない。

一貫していることは、思想ではなく、独りよがりの「良い子ちゃん」の信念だ。
自動車人間「ボディー」は、自分の世界を「見せる」ことが信条だが、一歩間違って、中身のない人間が、見せることだけにとらわれると、徹底した迎合主義になる。

また、見られることを意識している「ボディー」は、プライドの塊だ。非を認めるまえに、自分の「立つ瀬」を考える。早く言えば、言い訳だ。
もちろん、印象を気にするから、あからさまな言い訳は避け、誰かの存在や権威を強調して、その陰に隠れたり、その場で支持してくれる人に賛同することで、自分を正統化しようとする。

鳩山はこの、できそこないの「ボディー」だ。何度も言うが、ボディーがダメなのではない。自動車のボディーとしての機能には向かない、「鏡」でできたボディーなのだ。(見えない光学ベンツはあったが)

とにかく、行くところ行くところ、相手を映して、「私たしはこうです」と叫ぶ。相手は自分の願望を映す鏡を見て、「素晴らしい」と喜ぶ。
「少なくとも県外」も、沖縄を映した鏡だ。

しかし、アメリカや、中国は初めから信じなかった。
今回、中国に招待されて訪中したのも、中国が格好の道具と見込んだからであり、中国はこの「鳩」で、都合の良い手品を始めた。
手品の鳩は、押し込まれて、よく死ぬことがあるそうだ。


どの口が」、「笑ばなし