魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

春待ち草

2013年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は七草
冬至から半月が過ぎ、日没時間が既に10分以上も遅くなっている。
寒さはますます増しているが、日に日に春の陽ざしが見えてきた。

子供の頃は、実りの秋や冬支度、雪遊びや凧揚げなど、秋冬が好きで、舗装もない雪解けのぬかる道や、薄ら寒い春風、雪の消えた薄汚い河原、漂う泥臭さ、そういう春のすべてが嫌いだった。

ところが、何時の頃からか、春が待ち遠しくなり、咲く花を心待ちにするようになっていた。
歳を取ることは冬に向かう季節に似ているが、二度と春は来ない。
それだけに、再び巡る春はありがたく、梢の芽吹きを見るだけでも、心がゆるみ軽くなる。

寒さに身体が耐えられなくなり、冬に対峙するよりも、いつの間にか春を思いながら冬に耐えるようになっていた。
年を取り、季節や自然に身を委ねて生きることの幸せが、ようやく見えてきた。
お釈迦さんも入滅の前には、自然の美しさこの世の美しさを称えていたというから、少しずつそういう心境に近づいているのかも知れない。