魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

八百万薬

2013年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

このところまた地震が多くて、頭痛に悩まされている。頭痛のたびに、地震だろうか?ただの健康障害だろうか?と悩みながら耐えている。
しかし、『もし、地震だとすれば』と、想定して、いつ頃どの辺りかと予想してみると、ほとんど当たっている。

スッと頭痛が無くなってから、1~2時間で起きる。頭痛の位置で、後頭部ほど遠く、東北北海道沖縄、関東中部中国九州、近畿北陸・・・ぐらいの感じで判断し、左右で表日本裏日本ぐらいの感じで分かることもある。

大体はM4以上だが、M5以上になると、かなり辛い。
ズーンと痛いのが続いて、たまらず寝込むこともあるが、M4くらいだと、ズキン、『あれっ・・・かな?』ぐらいのことの方が多い。

しかし、いまだに、関連性には確証が持てないし、心の底で、どこか信じたくないところがある。
だから、よけい科学的に検証して欲しい。
頭痛持ち、1000人ぐらいに、メールさせるようにして、統計を取れば良いだけだ。ナマズの観察よりよほど簡単だ。

脱薬物障害
昔から頻繁に起こる頭痛だが、あまり頻繁に起こるし、必ず治まる経験から、頭痛薬は飲まないことにしている。
脳腫瘍などの病気ではないかと言われるが、仮にそうであっても、既にこの年まで生きているから、どうでもいい。検査もしない。

先日、60代の友人に会ったら、杖を突いている。足でも悪いのかと聞いたら、「怖い」のだと言う。階段などを上から見下ろすと、怖くて降りられないのだと言う。話をしているうちに、不眠症で毎晩睡眠薬を飲んでいるのだそうだ。

自分も、かなり昔から眠られないが、決して睡眠薬など飲まないから、驚きあきれた。薬は酒と同じような効果をもたらすこともあるが、決して晩酌するようなものではない。
日本人は何かと言えば薬を飲むと、あきれられるが、AB型的国民性故だろう。良く言えば合理的で、悪く言えば依存的だ。

B型、弥生的合理性と、A型、縄文的信仰心が合わさって、症状に応じた機能を利用しようと考えることと、薬という神様を信じることで、八百万の薬物を信仰する。

加えて、近頃は、商業主義の売薬やサプリが氾濫している。
もちろん、薬は本当に必要な時がある。適切に用いれば劇的に効果があることも事実だ。しかし、おやつや晩酌のように飲んでいると、肝心な時に薬が効かなくなったり、過剰摂取による副作用が起きかねない。

階段が怖い友人は、もとより、依存的なのだが、階段で目がくらむのは、晩酌のように飲んでいる睡眠薬の副作用ではないかと疑った。
ニワトリと卵はどちらが先か分からない。