魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

嵐の時代

2013年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

あまり書く気がしないのだが、アルジェリアの事件は、起こるべくして起こった事件と言える。
開発現場は、常にあらゆる危険に直面している。事故、災害はもとより、現地住民とのトラブルもつきものだ。

群馬県で、火山灰から発見された古墳時代の人は、鎧を着け、榛名山の噴火に立ち向かって死んでいた。火の神への祈りだろうか。
初めて人が火を得たのは、噴火や山火事からと言われているが、人間に火を与えたプロメテウスの物語が、その厳しさを物語る。

石炭、石油、ガス、原子、という近代の火も、それを得ることが容易ではないと、われわれは大きな犠牲によって思い知らされてきた。
落盤、爆発、放射能と、直接目に見える事故もさることながら、そうと意識されずに起こる人や社会の摩擦によって、実は、遥かに大きな犠牲を払っている。

近代の戦争は、エネルギー争奪戦、火を得るための争いでもある。
帝国主義、植民地主義による犠牲は、誰が加害者と言うことはない。
人類すべてが産業革命パラダイムの嵐に巻き込まれた犠牲者だ。
別の見方をすれば、それを止めることができなかった、愚か者の歴史でもある。

外人部隊
「♪ここは地の果てアルジェリア~」アルジェリアと聞けば、日本人が真っ先に思い出すのが、この「カスバの女」だろう。アルジェリア独立戦争が始まった翌1955年に生まれた歌だ。
この歌謡曲の、「地の果て」とは、日本人にとっての地の果てではなく、ヨーロッパ人にとっての「最果て」だ。

古代から日本人にとっての地の果てが、「唐天竺」だったように(唐は朝鮮半島も含む)、
ヨーロッパ人にとっても、目の前の北アフリカは、古代からの「異国」であり、植民地化後も「外地」のイメージがある。この距離感が、全然知らない新大陸などより、よほど「最果て感」をかき立てたことだろう。

戦前の映画、「外人部隊」や「モロッコ」が、この異国、外地のイメージを良く表現している。
ことに、フランス人にとって、同化政策の対岸アルジェリアは、異国とは思えなかったのかも知れない。時代の流れに逆らって保持しようとして苦しんだ。

アルジェリアが独立した1962年の外人部隊の映画「前進か死か」は、市街戦の機関銃音に合わせて、タイプのようにアルファベットが刻まれていくタイトルと音楽が、当時としては斬新で鮮烈だった。
やはり、外人部隊の空しさを描いた映画だったが、フランスの空しさも表現していたのだろう。

傭兵による戦争は古代からあるし、日本の戦国時代も恩賞目当てだから、実体はたいして変わらない。
ただ、「外人部隊」の言葉は、富が生む無益な戦争をよく象徴している。

今回の、アルジェリアの事件は、リビアのカダフィ政権に雇われていた大量の傭兵が、行き場を失ったことも影響しているという。

パラダイムの影
政治、宗教、ビジネス、何であれ、世界の混乱の場には、産業革命パラダイムの影がある。
今日まで続くアフリカの混乱も、大戦争と同じ、富がもたらす、権益戦争であり、それがまだ終わってないことを象徴している。

安倍総理は犠牲者を、高度成長期の呼び方「企業戦士」と呼んでいた。「戦士」の格好良さは、プロや英雄の響きがあるからだが、「兵」と言うと、もともと戦争そのものを指し、人格無視の単なる戦争道具と感じる。しかし、実体は同じことだ。

会社員が企業戦士なら、ボランティアは義勇兵と言うことになるだろうが、同じように、企業兵と言ってしまうと、ただの将棋の駒になる。
「私も一兵卒として」と言う政治家や企業家は、本音は将官のつもりで、国民や社員を駒と見ているからだ。
「一将功成りて万骨枯る」

企業戦士なのか、企業兵なのか、どういう呼び方をしようとも、
250年続く産業革命パラダイムの大戦争を戦う傭兵「外人部隊」であり、テロの側にもテロの言い分があるだろう。アフリカは、中国や韓国の言うような過去史ではなく、今まさに歴史に苦しんでいる。

誰が悪者と言うことではない。火を奪い合う、産業革命パラダイムの嵐に巻き込まれた犠牲者であり、大転換が始まっても、この混乱がすぐ終わるわけではない。
犠牲者に報いる意味でも、エネルギー転換を急いでほしい。

同時代を生きる者として、犠牲者のご冥福を祈りたい。