魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

酔っ払い

2012年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

何ごとも、消える間際には大きく輝く。
グローバル時代の入口で、古い時代の最後尾が輝こうとしている。

腕力で国家の線引きを変えようとする、時代錯誤の夢に生きる夢遊病者に、世界は驚かされている。しかし、これこそが、そういう時代の終わりが来ていることを示している。

夢遊病者や酔っ払いは、決して本気になって相手をしてはいけない。上手く交わすことが重要だ。相手の図体が大きければなおさらだ。

酔っ払いを交わすコツは、後ろに回り込むことだ。
彼らには周りの景色が見えていない。自分を客観視できない思い込みや勢いで行動している。
だから、相手が正気だと思って、同じ立場で応対すれば、勢いにやられてしまう。(酔っ払いは馬鹿力を出す)

武力に武力で対抗するのは危険だ。次元の違う足払いをかければいい。
何よりも、周囲の人に、喧嘩しているのではなく酔っ払いに絡まれていることを解ってもらうのが最優先だ。
その上で足払いを掛ければ、見物人も納得するし、協力者も現れるかも知れない。

いずこもおなじ
しかし今、目の前のこの酔っ払いを扱うのは、極めて難しい。
何しろ、「オレを怒らせると、もう来てやらないぞ」とワメいているこの成金の酔っ払い中田は、クラブ「やまと」の大得意だ。
確かに、この大得意が来なくなれば、店の売上げは2、3割落ち込む。店の子もチップを期待して何とか取り入ろうとしている。

無理難題をガマンしてきたママだが、近頃、ますます図々しくなって、「この店は自分が面倒を見てやっている」とまで、言い出し、開店当時からの上客で顧問の米田を、何とか追い出そうとする。

米田だって損得ずくには違いないが、新参の中田よりは、よほどスマートだ。
「同郷のよしみじゃネエか、お前のオヤジには迷惑を掛けられたが、昔から面倒を見てやったもんだ」と、ことあるごとにクダを巻く中田をあしらってきたが、今夜という今夜は、もう、ブチ切れそうだ。

「もう、来てもらわなくても結構です」と、喉元まで出そうになるところだが、「中田さ~ん」と媚びる、店の子達の怒りを買っては、店の運営にも支障をきたす。
「そんなことを言わずにまた来て下さいよ、中田さん頼りですよ~」
とりあえず、今夜この場を治めなければならない。

しかし内心、ママも考える。
『こんな客が出入りしているようだと、店の信用に関わるし、我が物顔に振る舞われたのでは、店の経営を台無しにされてしまう・・・今すぐには切れなくても、これからは他の客筋を開拓しなくては・・・』

ノストラダムスの四行詩のように、石川啄木も歌で予言した。

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる

東シナ海の尖閣のお白砂(争い)に、和列(島)泣きぬれてカニ座(中国)とやりあう