魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

運の強さ(2)

2012年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

突発的な非常事態に助かる一因は、「ズレ」の能力かも知れない。
突発事態とは、それまであった「普通」の世界ではない状況だ。

しかし、経済や政治、外交の世界は、突発事態の連続であり、シミュレーションやマニュアルの世界を越えている。
この、突発事態に対処できる能力は、社会常識の優等生、エリートとは全く関係ない。動物的直感、経験に基づく現実感だ。

大量生産の産業革命パラダイムは、効率の良い生産のために、人間にも規格品を求める。その人間を大量生産する仕組みが学校だ。
その学校で、優秀であればあるほど、想定外への対処が出来ない。

特に日本の学校はそうなのだが、決まった答えを正しく答えられることを重視する。教師の想定外の答えをすれば、無能者になる。
もちろん、その教師は学校で生産される。

本来、人間の能力は大差ない。それを、記憶力や論理力の特定の能力だけで選別し、およそ動物的な対処能力とは関係ない人間を、指導的立場に据える。
知識と言葉が達者で、先達に気に入られることに長けた人間で構成される役所や大企業は、こういう人材だけで埋め尽くされている。

そういう組織が招いた救いようのない大失態こそ、敗戦だった。軍人も超優秀な役人だ。
日本政府も日本軍も、明治の初めは、受験競争で勝ち上がったような人はいなかった。

轟きの野人
新組織の始まりから、30年目ぐらいは成果が出る。そしてそれから30年目ぐらいで崩壊に至る。
敗戦から67年。それから考えると、今は昭和27年。今はまだどん底だが、上昇はこれからだ。

今、官民のエリートは、優秀愚直で度胸と商才がない。役人は規制緩和を拒み、企業は何も勝負しない。責任だけを恐れている。
こうして、イモムシが冬眠している間にも、外の世界は騒がしくなってきた、早く飛び立たないと枝ごと切り落とされてしまうだろう。

この非常事態を突破できるのは、エリートではない。非常識な野人だ。
それでも、まだ日本人はそのことが解っていない。
野合がいけないことのように言われ、金や異性問題どころか、ぶっちゃけ話をすれば、失言に問われる。

少しでも「ズレ」た人間を排除しようとする潔癖症で、無菌にすれば抵抗力がゼロになる。それが野人を失った今の日本だ。
非の打ち所のない人間を求めれば、やがて、カエルの王様のように、コウノトリが現れて、国民すべて喰われてしまうだろう。

しかし、そろそろ冬眠をを打ち破る、元気の良い、「ズレ」人間が現れてもよいころだ。マスコミの総攻撃をバッサリ切り捨てる政治家、辞表を懐に抱いた企業人、熱血同志で起業する若者・・・ 日本の運がまだあるなら、「ズレ」た救世主はいるはずだ

出でよ、轟く春雷のごとき野人たち