魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

党破れて

2012年12月21日 | 日記・エッセイ・コラム

みんなの党の渡辺代表が、維新とつぶし合って「愚かだった」と反省した。
野合だろうと何だろうと、とりあえず一本化しなければ、毛利元就の三本の矢ではないが、もろく折れて虻蜂取らずになった。

それが良かったか悪かったか、とにかく、自民党自身がビビッてしまうほどの、消去法での大勝利となった。
ラスト党」でも心配したように、どの政党にとっても、これが本当に政党政治のラストチャンスだ。実際、投票率最低のこの選挙に、勝者はいない。

今回の選挙で最も価値があったのは、政局とバラマキ選挙の小沢幸村の大阪城が多数の浪人とともに落城したことだ。間もなく、淀君も自害するしかないだろう。

もう、自己顕示や金儲けのための、志の無い政治遊びは許されなくなった。今回も、自民党にそういう「先生」が大量生産されたが、悔い改めるか、成長がなければ、二度目はない。

政党破れて人があり
ドン詰まりの日本だが、日本人が政治に期待しなくなったたことは、むしろ、日本の覚醒になる。

戦国、幕末、敗戦と、日本人は無政府状態の時の方が活性化する。
島国で、こぢんまりと収まり為政者に従順だから、政治が健在のうちは、文化にエネルギーをつぎ込むものの、生命力は封印される。

焼け跡闇市のように、無頼で遠慮がなくなれば、日本人のマグマのような生命力が吹き出す。
近頃、「品格」や「民度」などと、遠慮深さが日本人の誇りのようなムードがある。しかし、これが無くならなければ、日本の目は覚めない。

「遠慮して何か良いことがあったか!?」
日本人がそう思い出す時、若者が中年のヒンシュクを買う時こそ、日本が走り出す時だ。まだまだ若者が良い子過ぎる。