魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

運の強さ(1)

2012年12月08日 | 占いばなし

笹子トンネル事故で、NHK記者が間一髪、奇跡的に助かった。
このニュースに、車ファンが、やっぱりスバル「インプレッサWRX STi」の加速は凄いと話題になっているそうで、伝説になる勢いだ。

大事故の時、奇跡的に助かった人は、様々な形で話題になる。
昔から、この、奇跡的生還をした人については、話題になるので、「運」との関係を考えさせられる。

奇跡的生還をした人について、世間というものは、驚くと同時に、多くの人が亡くなっている中で、「何故、お前も死ななかったんだ」と、言わんばかりの誹謗中傷が起こることは少なくない。
ことに、死を美化する日本では、この傾向が強い。逆に、どんな悪人でも、死ねば仏で、名誉善人になる。

突発事故の時、好んで死ぬ人などいない。誰でも助かろうとする。
その中で、助かる人と助からない人の違いは、どこにあるのだろう。
助かった人の「運」とはなんだろう。正直、未だに解らない。

占いでみれば、いわゆる「運」の良い人も死んでいるし、助かった人が必ずしも「運」が良いというわけでも無い。
戦争や、大災害では、「運」の良い人が大量に死んでいる。

あえて言えば、「運」の良い人より、比較すれば「不幸」な運の人の方が助かったりするケースが多いような気がする。
(生日が分かるケースは少ないのだが)
実際、宝くじでもそうだが、九死に一生を得た人も、妬まれたり嫉まれたりして、その後の運は、多くは恵まれない。

「運の良い人」が助からず、「不幸な人」が助かる。こういう現象を見ると、「運の絶対量は同じだ」と言う人がいるが、それでもない。
こうなると、そもそも「運が良い、悪い」とはどういうことを言うのか原点に立ち帰って考えて見る必要がある。

ズレている
「運が良い」とは、通常、平均的な人より、財や名誉に恵まれ、あまり悩みも無く暮らす人だ。「不幸な人」とは、これに恵まれない人だ。
人間は社会的動物だから、社会に逆らわず、積極的に社会参加するほど、社会から得られる成果が大きい。これが「運の良い人」となる。
また、「運の強い人」は、社会と戦いながら、奪い取っていく人と言えるだろう。「不幸な人」はこの逆だ。

「不幸な人」は、社会から外れ、上手く適応できない人だ。つまり、他の人とはズレた基準で動いている。

突発事故が起こった時、「運の良い」社会適応型の人は、常識通りの行動をするが、ズレている、日頃「不幸な人」は、自分の基準で動く。それが、思わぬ突破口を開くのだろう。規格外れの能力だ。

今回助かった、NHK記者の場合、報道記者という立場から、当事者とは違う立場で、現象変化に敏感に暮らしている。つまり、事件慣れし、ズレた目で現象を見ているから、反応も一般当事者より早い。
さらに、車マニアが選ぶような車に乗っていた、これもズレている。
トンネルで追い越し車線を走るのも、どちらかと言えば一般的ではない。ズレている。

本人は「何が起こったか解らなかった」と、言っていた。それは全く本心だと思う。つまり、特別に意図しない、この人本来の行動が、九死に一生を得たということだ。
NHKの記者をするぐらいだから、勉強もそこそこ出来たのだろうが、それ以上に、「ズレ」の能力があったのかも知れない。