魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

犬の惑星

2011年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

エンジンとボディーの相性は難しい。シャーシとハンドルも同じ関係になる。
警察や検察はハンドルで、小沢はシャーシだから宿敵となりやすいが、ボディーにとっては、シャーシは思いを代弁する、我が子のような存在だ。

では、ボディーとは何かと言えば、自動車のあらゆる部品を包み込み、美しく形を整えて、「何であるか」を意味づけするもの。
世の中で言えば、アレコレ複雑で難しいことを、一つの答えに単純化して美しく表現し、安心感を作るもの、思いをまとめて代弁するものだから、政治やマスコミの世界が、これにあたる。

政治は本来、複雑な操作が必要な、ハンドルの仕事なのだが、世の中で目立つ位置にいるため、ボディーのような目立ちたがり屋が成りたがる。その結果、業界全体がボディーの世界になってしまう。

しかし、ボディーはいい顔だけ考えているから、責任の生ずる行動は取れない。ところが、後先を考えないシャーシは、どう言われようと構わず突進するので、ボディーにとっては都合が良い。
便乗も出来れば、関係ない顔をして非難することも出来る。

思い切った行動をするのは、シャーシとエンジンだが、シャーシが単発的なのに対し、エンジンは持続力があり、ボディーの武器である言葉や雰囲気を無視するので、ボディーは腹が立っても太刀打ちできない。絵に描いた刀では、破り捨てられてしまう。

エンジンの政治家が、政界やマスコミから嫌われるのは、ボディーの世界を無視するからで、ボディーは対抗するためエンジンの苦手とする「印象」で足を引っ張る。言葉の揚げ足取りがその例だ。
亡国の宴」「猿の惑星

今回の菅下ろしは、ボディーとエンジンの対決で、不信任案採決の前の両院議員総会で、菅が「一定のめどがついたら若い人に・・・」と言った瞬間に、NHKのテロップに「菅総理辞意表明」と出た。
『おいおい、辞めると明言してないじゃないか』と思って見ていたが、
その後、このマスコミの断定を前提に「辞めると明言」したことになって事態が進行した。

ボディーの政界とマスコミは、菅エンジン憎しの一念で早トチリしたわけで、この混乱事態の一級戦犯はマスコミだ。にもかかわらず、無責任体質では鳩山以上のマスコミは、国民を無視した政局とか、菅総理の延命策とか、自分達は関係ないような顔をして正当化に努めている。そして、国民の中には、マスコミの煽るままに乗せられて、延命はけしからんと叫ぶ人もいる。

しかし、何よりも重要なことは、政界マスコミ、あるいは国民も、
「内閣は一年で交代するもの」と思ってしまっていることだ。
はっきり言って、誰に替えても、大して変わりない。
それが解ってないのは、当の政治家と、政局イベントで飯を食ってきたマスコミだけだ。国民はもう虚しい期待をしていない。
不信任否決後の、菅総理の辞任時期についてのアンケートでも、早くても8月以降が8割近かった。半数以上が年末後としている。

このまま、裸の政治屋とバカマスコミが、政権を追い詰める生産性のない空騒ぎを続ければ、孤立した政権によって、日本は犬の惑星になっても仕方がない。

CMは変容宮