魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

違う立場

2011年06月23日 | 兄弟関係

むかしむかし、あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでいました。
お爺さんとお婆さんはとても貧乏でしたが、隣の大きなお屋敷には、ボーッとした爺さんと婆さんが住んでいました。

貧乏なお爺さんとお婆さんは、毎日、町に物売りに、山に薪拾いにといそがしく働いていました。
町で珍しい唄や踊りを憶えたら、何も知らない隣の爺さんに教えてやりました。山で集めた山菜が余ったら別けてもやりました。
でも、少しも嬉しそうにしないばかりか、迷惑そうな顔さえします。

そのくせ、教えて上げた唄や踊りで、知らない間に先生になって、よその人に教えているのです。しかも、せっかく教えてやったのに、変な踊りに変えています。ちっとも嬉しそうにしなかったクセに、山菜は庭に植えて一杯に増やし、通る人にまで売っています。

ある日、隣のうちから、お祝いですと小判を三枚持ってきました。
聞けば、隣の家で拾ってきた犬が宝のありかを教えてくれて大もうけをしたというではありませんか。
何で、あんなボーッとしている爺さん婆さんばかりが、上手いことをするんでしょう。
お爺さんだってその犬さえあれば、同じ宝が手に入るはずです。
唄や踊りも山菜も、もって行ってやったのだから、お爺さんにも犬を貸してくれても良いはずです。

犬を借りて山に行ったのですが、きっと隣の爺さんが教えたのでしょう、宝のありかを教えようとしません。叱ると、歯をむいて噛みつかれそうになったので、棒で叩いたら死んでしまいました。

隣の爺さんに言えば、きっと怒るので、庭にそっと置いておきました。
しばらくすると、死んだ犬を置いてきた隣の爺さんの庭に、大きな松が生えました。

ある日、隣のうちから、また小判を持ってきました。
聞けば、犬を埋めた後に生えた松を切って作った臼から宝が出てきて大もうけをした祝いだと言います。

またも、あのボーッとした隣の爺さんだけが、良い思いをしているのです。神さんは何と不公平でしょう。こんなに一生懸命働いているお爺さんには、何も良いことがないのに、ボーッとしている隣の爺さんだけに幸運が舞い込むのです。

お爺さんも、隣から臼を借りてきて、杵でついてみたのですが、中からはガラクタしかでてきません。力が足りないのかも知れないと、力一杯ついたら、臼が割れてしまいました。

壊れた臼は使えないので、隣の爺さんの手間にならないように、燃やしておきました。
すると、隣の爺さんは何を思ったか、灰を持って帰りました。

しばらして、隣の屋敷が大賑わいなので、見に行くと、隣の爺さんが灰をまいて枯れ木に花を咲かせたので、お殿様からほめられ、たくさんのご褒美を運んできた家来で一杯でした。

近くには、まだお殿様が休んでおられるとのことなので、急いで隣の爺さんから、残った灰をもらって、殿様のところに駆けつけ、
もっと一杯咲かせましょう、とお殿様の近くの木に登り、ざるごとまきました。

ところが、花が咲くどころか、お殿様の頭の上に灰が降りそそいで、お殿様は眼を痛め、
お爺さんはとらえられて、打ち首になってしまいました。

お爺さんのせがれは、こんな事になったのは、みんな隣の爺さんのせいだ、きっといつか敵をうってやる、そして、うちから奪った家も財産も奪い返すのだと堅く心に誓い、毎日毎日、わら人形に五寸釘を打つのでした。