魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

嫌なCM

2008年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

最近多いCMパターンで、

みんなが知っているのに「自分だけ知らない」・・・焦る;’’

20年ぐらい前から徐々に増えてきたが、
CM制作者、スポンサーがこれを納得するからだ。視聴者もまた、実際に注目し、そうそう、あるある、と納得するのだろう。

画一的教育、情報の普及によって、何でも知ることができるから、知らないでいると疎外される恐怖感が生まれる。

さらに、大家族、兄弟、友達に切磋琢磨されてないので、プライドが傷つくことを恐れる若者が、マニュアル学習だけに頼ろうとする。
だから、他人に聞けない。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
とは、思わなくなったようだ。何しろ、検索すれば良いのだから。

こういう若者も、もう50歳が近い。

パソコンショップなどで、知っている言葉でも、
「なんですか、それ?」
などと聞くと、実にうれしそうに笑いをこらえる店員が多い。
小さなプライドは、小さなことで得意になる。

知識さえあれば、物事が解ったように錯覚してしまう社会になった。
さらに、訳知りに、情報は信用できないというポーズもある。
いずれにしても、まず知識ありきだ。

昔から、「かわいい子には旅をさせよ」と言う。
旅は、プライドや思いこみを許してくれない。
未知の世界には、勇気と反省、学びが必要だ。プライドなんか何の役にも立たない。
チマチマと知識を蓄えるより、やってみて、解らなければ
何でも聞いてみる、おおらかさこそ武器なのだ。

50歳に近いような人々は、充分に知識を持っているだろう、しかし、人間性やおおらかさを蓄えてきているか心配だ。
政治や文化に、何とも、スケールを感じられない。