魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

野茂引退

2008年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

野茂が引退した。時には逆らえないが、老兵は死なずだ。
先日、京都大学で爆笑問題が「独創性」についてやっていた。
「誰を独創的だと思うか?」の質問に、学生の大半がイチローを挙げたのにはがっかりした。
京大生といえども、子供だからしかたがない。と思うしかないが、
あまりにも情報化され、大局観がない。

イチローは、紛れもなく天才だ。しかし、培養天才の側面もある。
大リーグへの鉄道を敷設したのは野茂英雄だ。
それまでの日本球界が、大リーグへのコンプレックスに閉じこもり、
渡米など、考えるだけでも嘲笑、非難されるような中から、あらゆる流れに逆らって、トルネードを引っさげ、果敢に飛び込み成果を上げてみせた。
イチローが新幹線なら、野茂は横浜新橋に自ら鉄道を敷いて走って見せた弁慶号だ。
さらに、忘れてならない仰木彬は、敷設に貢献した高島嘉右衛門だ。

物事の普遍的価値は、記録やパフォーマンスではない。
独創とはコロンブスの卵だ。荒野に価値ある第一歩を記すことだ。
自ら創造し、それを実行する勇気、失敗を恐れない不屈の精神、そういうものが独創を生む。

野茂が信長なら、イチローは時代に恵まれた伊達政宗だ。
独創に野球のイチローを言うなら、先ず野茂だろう。

もっとも、近頃の培養秀才の京大生には、イチローの方が納得できるのかも知れない。