魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

衝動物 3.プロはプロなり

2008年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

プロは「商売もの」には手を出さない
では、さんまは女に手を出さないのか、先生は恋をしないのか
・・・そんなことはない。

「商売もの」には手を出さない農家も肉屋も、食事はする。
売り物でなければ自由に食べるし、食べると決めたら売り物ではなくなる。
たいていは、売れ残りや、取り除いたキズ物だが、飲食店などは勉強や付き合いで、他の店にわざわざ食べに行ったりする。
何はともあれ、昔は日常生活と「商売もの」をはっきり区別し、
お客さんには良い物を出すのがプロ魂、だった。
「紺屋の白袴」「医者の不養生」には、プロ精神も込められていた。

ところが、「お金が神様」の拝金社会では、客は養鶏場のブロイラーになった。形の良い餌を与えておけば喜んで食べる。
見かけだけ良くして売るために、偽装表示はおろか、薬品だろうが着色だろうが何でもありで、蝋細工より怖いものを平気で売る。

そして、安全で美味しい良い物は売り手が食べる・・・逆転だ。
悪いのは、無理を求める客だが、プロ魂がないから、金さえもらえればそれでいいと、客に迎合する。
もう、そういう社会ができあがってしまっている。

「商売もの」に手を出さないはずのプロが、真っ先に「商売もの」から食べてしまう今の世の中。
聖職や職人のプロ魂が昔話になった今、プロ魂を貫くのは難しい。
どんなに真摯に歩もうと、世間は疑いの目で見るようになった。
しかし、プロ魂を枯らしたのはそれを求める世間そのものだ。
例えば、先生を堕落させたのがPTAそのものであるように。

こういう「素人のワナ」は大昔からあったが、マスコミの発展で蔓延し、もう、けじめが無い。プロの荒野、素人時代だ。
だから、売り手も買い手も、世の中そんなもの、という風潮の中では、愚直なプロ魂は意味がないように思える。
しかし、だからこそ結局は、プロ魂を持ち続けた者だけが残っていく。

プロの色恋
生徒や患者に手を出す先生は先生ではないが、職場を離れたら自由だ。
だから、先生を口説こうと思うなら、職場から離れるのがコツだ。

良く知らないのだが、
モナと二岡は、痴漢先生や裁判官と比べて、何が問題なのか良くわからない。
不倫が問題なら、今や世間のふつー事だ。テレビに出る者がモラルに反してはいけないと言うほど、テレビに権威があるとも思えない。
世界の違うプロ同士が、仕事を離れての「おつきあい」だから、
けしからんと言うなら、他人のプライバシーで飯を食うパパラッチだが、これもプロ魂。
結局、一番悪いのはやっぱり、やっかみで騒ぐ「客」の一般人だ。
もし、問題があるとしたら、モナにプロ意識がないことだろうか。

人気商売の職場恋愛や結婚は、それ自体が真剣勝負だ。
人気商売で喰っているような人は、自分のプラスだけに関心がある。これもプロ魂だ。
そんな人同士が、結婚をするときは、双方が自分と相手の実力を承知して納得していなければならない。狐と狸でなければ、とても客の目をだますことはできない。

さんまが、大竹しのぶと結婚したのは、利用されたともいえる。芸の肥やしにされたのだが、サンマはそれが解っていなかったから、結婚当時は、明らかに芸が死んでいた。
逆に、陣内智則はさんまのような自負がないだけに、自分と相手が解っている。これは意図的ではないが、うまく利用しているといえる。

陣内と紀香の場合は、魚座とカニ座で補い合えるが、、さんまと大竹はカニ座同士だった。同じ星座は良い時と悪い時があるので、他の要因が影響する。

天才的お笑い芸人には、チャップリンを始めロリコンが多い。
さんまは、やはり天才なのだろう、大竹のロリータ芸に捕まった。