転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



クラシック倶楽部 イーヴォ・ポゴレリチ In 奈良 -正暦寺 福寿院客殿-(BSプレミアム)

放送が3月26日早朝で、録画はしていたのだが、
私は東京にいて自宅を留守にしていたため、観ていなかった。
きょう、一週間ぶりに家での自由時間が得られたので、
ようやく、視聴することがかなった。

まず、演奏家の名を紹介するナレーションの
「イーヴォ・ポゴレリチ」の発音が大変注意深く、
カタカナ日本語としては最大限、
本来のアクセントに近づけたものであったことに感心した。
さすがにNHKは用意周到で、正確であると思った。

正暦寺は奈良市の南東部の山間にあり、
今回の選曲はその閑かな佇まいに似つかわしく、
「静のポゴレリチ」に焦点をあてたものばかりだった。
福寿院客殿の、緋毛氈の上に、屋根を外したスタインウェイが設置され、
いつもの通り全曲、楽譜を見ての演奏、ポゴレリチ本人はラフな服装。
本来、ヨーロッパの石造りの乾いた邸内で響くように作られた楽器や楽曲を
日本の、木と紙で組まれた湿気のある古い寺院で演奏するのは、
それだけで『東洋と西洋の文化の融合により文明の理想が実現する』
(ピアニスト傅聡(フー・ツォン)の亡父で仏文学者の傅雷(フー・レイ)の言葉)
という方向の試みになっていたと思う。
ピアノの向こう側には、東洋ならではの借景庭園が広がり、
演奏するポゴレリチの正面には孔雀明王像。

私はこれまで、ほかの演奏家と異なりポゴレリチについては、
生での演奏を中心に聴いていたので、
テレビ収録の演奏を聴くことは大変新鮮に思われた。
演奏会で聴く彼の演奏とは全く別の印象があり、
目の前に聴衆が居るのとは違い、映像作品として首尾一貫させるため、
おそらく非常に抑えた演奏をしたのではないかという気がした。
音のレンジを敢えて絞り、空間に響き渡らせることよりも、
距離的に近い、特定の場所からのみ、聴き取られることを
強く意識した音の作り方だったと感じた。

撮影は昨年10月24、25日の両日に渡って行われたとあり、
ショパン『夜想曲』作品62-2 だけは夜の収録だったが、
これでさえ、夜の演奏会で聴いたイメージとは別のものがあった。
過去のリサイタルでのこの曲は、私には、月夜の屍累々の光景が
目に浮かんだものだったが、福寿院客殿での演奏では、
奥の深いカルマの物語を感じた。
やはり、音の組み立て方が、ホールで弾くものとは異なる、
至近距離の中での完成を目指したものだったからではないかと思う。

曲目の間には、YuanPu(焦元溥)によるインタビューが挿入されており、
ポゴレリチが十分にインタビュアを信頼し、
穏やかな気分で語っていることが感じられた。
また、YuanPuと二人で春日大社や東大寺を散策し、
礼儀正しく帽子を脱いで大仏殿に入るポゴレリチの様子や、
お茶室でtea ceremonyにあずかるマエストロの図、などもあり、
和やかな秋の観光の様子が、様々な映像として記録されていた。

(YuanPu Chiao氏はポゴレリチの信頼篤い音楽研究家。
下記の著書『ピアニストが語る!』の中でも
ポゴレリチの興味深い発言を数多く引き出している。)

焦 元溥YuanPu Chiao/著 森岡 葉/訳
【増補版】ピアニストが語る!』(アルファベータブックス)


私が最も強く打たれたのは、最後のシベリウス『悲しきワルツ』で、
インタビューの中でポゴレリチは、シベリウスの和声について、
極めて独特(exclusive)であると語っており、
その表現には高度な工夫が必要であることを述べていた。
一昨年の演奏会のアンコールでこれが演奏されたとき、私は、
ポゴレリチは今もなお死者と踊るのか……、
と思ったものだったが、今回はその点についても新たな印象があり、
業(ごう)や宿命から目を反らすことなく、
亡き人の魂さえ解放し、浄化しようとする演奏だったと思った。
正暦寺という場所が、彼にそうするための力を貸したのかもしれない。

最初から最後まで、古都に相応しく静かな時の流れを伝える番組で、
現在のポゴレリチの到達点を、一方向からではあったが正確に切り取り
構成してくれた内容だったと、ファンとして心から感謝している。
NHKプレミアムでなければ、なかなかこれほどの時間を
テレビ番組として提供してくれることはなかっただろうと思う。

しかし、演奏家イーヴォ・ポゴレリチは、あれがすべてではない。
過去の経験から私はそれを知っている。
ポゴレリチは同じ曲を演奏してさえも、多彩な顔を見せる芸術家であり、
彼のメタモルフォーゼは、彼が生きてこの世にある限り、
これからも決して終わることがないのだ。
この冬に既に来日が決まっていることを、改めてとても嬉しく思っている。

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ただひとつ、あのシベリウスを聴いた今となっては、
ポゴレリチが、今年の12月の来日公演のプログラムから、
スクリャービン『詩曲:焔に向かって』作品72を外してしまったことが
かなり残念に思われる。
2015年3月に本人が公式サイトで発表した予定曲目では、
2018~19年のシーズンにこの曲が入っており、
その時点で既に私は大いに期待していたのだが、
来日公演が決まって告知されたプログラムの中には無かったのだ。
今の彼なら、さながら踊るシヴァ神のように、
世に終末をもたらす炎を操れるのではないかと思うのだが……。

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