12月になったので、クリスマスのイメージの花を買った。
西方教会においては12月1日から待降節である。
ポゴ氏はカトリックだから、この考え方で良いのだと思うが、
Facebookに集うThe Cult Fan Clubの仲間は東方教会の人も結構いるようで、
彼らはユリウス暦なので、新年になってからクリスマスを祝う投稿を毎年見る。
私にとって何かが「明ける」のは、神社奉仕が一段落する1月10日頃だが(^_^;。
現状は、年末年始に向かって神社仕事が忙しくなって行くだけなので、
クリスマスだから何かが楽しいということは全くない。
しかしそれでも、初詣対応で食事もままらならない真っ最中に、
介護スタッフさんからの電話がかかってきて、
両親のどちらか・場合によっては両方の、具合が悪い、
等と知らされていた頃を思えば、今は、格段に心が軽くなった。
施設や病院からの電話を心配せずに夜眠れるようになり、
私はこのところ、およそ6年半ぶりの、解放と脱力を味わっている。
折しも、きょう明日と二連休を実現させた。
8月にコロナ罹患で蟄居したとき以来ではなかろうか、連休などと!
きょうも明日も、何時何分どこそこ、
の予定がただのひとつも入っていないなんて、夢じゃなかろうか。
舅姑も実家両親も亡き今、次は我々が老夫婦&隠居になる番だ。
いずれ、また昔のように、居間にクリスマスツリーを飾ったり、
この時期の街のイルミネーションを愛でたり、
クリスマスミサに与り、聖歌に浸ったりできるようになりたい、
というのが、私の、目下のささやかな夢である。
(話がカトリックなのは、近所の世界平和記念聖堂を想定しているから)
初詣の季節にしても現状は、大晦日から1週間は社務所に詰めているために、
早朝から夕方までずっと、時間に追われ電話が鳴り続け、
ケツに火がつき、片頬片瞼が痙攣している有様だ。
御飯は5分でカップラーメン、ロキソニンとリポD固め打ち、の約十日間。
あの期間中は、次の季節が何で今が何月何日なのか全然わからなくなる。
そんなのではなく、たとえば年越しの瞬間を落ち着いて迎えるとか、
初日の出を拝む等をして、新年にあたり、自分の気持ちと向き合い、
ちゃんと「お正月だな」と感じて、氏神さまに参拝できるようになりたいのだ。
そういう意味で、私が近年で最も幸福だったのは、コロナ禍の日々だった。
どこへも行かなくていい、人から呼び出されない、何も要求されない、
家にいればよく、黙ってひとりで過ごせる時間が限りなくあり……。
かくなるうえは、老後の日々を、少しでも長く過ごせるようでありたい。
世の中が活発に動いているのは全然構わないので、
私は敢えて、自分の意思で、そこから取り残される自由を甘受したいのだ。
専業主婦だった頃は、家庭内には私の心身の小さなゆとりと、
季節の移り変わりを味わう潤いのようなものがあった。
あの気分を、できるなら、あと何年かのちには取り戻したいと願っている。
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